今月の漢字は「朝」ですが、まず「土」の成り立ちから説明したいと思います。「土」という字は、「十」(じゅう)と「一」(いち)に分けられます。でも「土」の字にある「十」は、数字の十ではありません。数字の十は、たくさんの縦棒を、横棒で一本にまとめた形です。(棒ではなく人をまとめると千になります。千は、人を表す「にんべん」(イ)を横棒でまとめた形で、たくさんの兵隊を表したそうです。戦いのためには、やはり千人くらいの単位で人を集めたのでしょうね。)
では「土」はというと、まず下の「一」が地面で、「十」はそこから草や木が芽を出した形です。このように「十」は草の象形の場合もあると理解すると、「早」や「朝」の成り立ちに納得がいきます。夜が明けて、ようやく日が草の上に顔を出したころが「早い」時間なのであり、月がまだ沈みきらないけれども、草の間にまで日が昇ってきたときが「朝」だということです。ちなみに、もう少し日が昇って、草ではなく木の高さまで来ると、日の昇る方向である「東」になるのですね。
夕暮れには涙が宿っても / 朝明けには喜びの叫びがある。(詩篇30:5)
みなさんは、朝にどのようなイメージを持っていますか。忙しい現代人は「朝が苦手」でしょうか。「また一日が始まるのか」と、朝から疲れている人もいるでしょう。でもやはり、私は、朝は希望だと思うのです。まだ薄暗くて月が見えても、草の間から日の光が差し込んでくる朝は、新しい一日の始まりです。
よく「明けない夜はない」と言いますね。これは「悪いことは続かない」という励ましの言葉です。「夜の後には必ず朝が来るように、今は状況が悪くても、必ず良くなる」という意味で使われます。「夜の後には必ず朝が来る」と私たちは当たり前のように言い、事実その通りなのですが、考えてみれば不思議ですよね。どうして朝は必ず来るのでしょうか。特に、突然変異による進化を信じている人が多くいる中で、なぜ朝晩のサイクルは突然変異しないと言えるのでしょうか。旧約聖書を開くと、神が昼と夜と契約を結び、天と地の法則を定められたとあります(エレミヤ33:25)。神と契約関係にある自然界が、法則に従って動いているので、私たちには毎日必ず、朝が訪れるということです。聖書はさらに、この夜明けの到来の確実性と並べて、神の存在や神の愛、また神の約束の成就の確実さも教えています。神を認めない科学の世界と、神がいるからこその科学の世界では、希望の有無が違ってくるのです。
みなさんの中には、もうずっと、不安に眠れない夜を過ごしている方もいらっしゃるでしょう。現状が好転するとは考えられない方もおられるかもしれません。でも、朝は来ます。そして朝ごとに、神の新しいあわれみがあり(哀歌3:23)、神の公正が照る(ゼパニヤ3:5)と約束されています。ですから、希望を捨てないでいただきたいと思います。「夕暮れには涙が宿っても / 朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)と信じて。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?