今月の漢字は「荷」です。荷の下の部分の「何」は、人が荷物を背負っている形で、荷物の中身は何かわからないことから、「なに」の意味になりました。「荷」はこれに草冠が付きましたから、荷物の中身はわかっています。刈り取った草です。
私はシュピリの小説「ハイジ」が大好きで解説本なども読むのですが、おじいさんが一人でやっていたであろう干し草づくりは、大変な仕事だったと読んだことがあります。炎天下、大きな鎌で草を刈り、天日で乾かし、納屋に運び込み発酵させ・・・と、相当きつい作業だったようです。
「荷」は人が刈り取った草を背負っている形でした。ハイジのおじいさんだけでなく、大昔から世界中で、人は大変な思いをして草を背負い、働いてきたのですね。二十一世紀の日本で実際に刈り取った草を背負っている人は少ないでしょうが、重荷を負っている人は数え切れないほどいるでしょう。しかもそれは、仕事をしている大人だけではないはずです。子どもも、小さな体で大きな重荷を抱えていることがあります。
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。(マタイ11:28)
私は小学校高学年から高校生までが参加しているクリスチャンのユースグループをお手伝いしていますが、そこで先日、ちょうど私がこの原稿のために考えていたようなことが、子どもたちに話されました。そのお話をした友人宣教師の許可を取りましたので、その概要を私の訳で紹介します。(もとのお話は英語でした。)
“みんなは学校に何をしょっていくかな。リュックかな。ランドセルかな。何が入っているだろう。全教科のノートや教科書を毎日持ち帰っている人も、ロッカーに全部入れっぱなしの人もいるだろうね。僕には、みんなのカバンの中身は見えない。だから、何が入っているかわからない。カバンだけじゃなくて、皆が何を背負っているのかわからない。友だちのことや、成績のこと、先生のことや、おうちのこと、みんなそれぞれに悩みがあるだろう。みんなが背負っている心配事の中身も、僕にはわからない。でも、イエスさまは、すべてを知っている。なんでもわかっている。そして、こう言ってくれている。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます」。だから、みんなの抱えているものが重かったら、イエスさまのもとに行こう。そして、休ませてもらおう。”
このメッセージで引用されたイエスのことばが、今月ご紹介する聖書のことばです。よく教会の外などに書いてあるので、見たことがある方もおられるかも知れません。本当にすべてに疲れてしまって、もう人生どうして良いかわからないと考えていたときに教会の前を通り、このことばに吸い寄せられるようにして教会の中に入ってみた、という方を私は実際に知っています。読者のみなさんが今何を抱えておられるか、私もわかりません。でも、「わたしのもとに来なさい。休ませてあげます」というイエスの招きは、みなさんお一人おひとりにも、確かに向けられています。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?