今月の漢字は「言」です。針と口の象形ですが、針の音読みは「シン」で心(シン)と同じであることから、ここでは「心」を表すのだそうです。心で思うことを口から出すので、「言」は「言う、ことば」の意味になりました。この成り立ちは、ずばり、今月ご紹介する聖書のことばそのものですね。イエスは「心に満ちていることを口が話す」(マタイ12:34)と教えました。
考えずに発言する人のことを、「ロで失敗するタイプ」などと言いますよね。私たちが話すとき、口の中で動いているのが舌ですが、この舌についても、考えさせられることが聖書に書いてあります。「舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています」(ヤコブ3:8)。口で失敗するタイプの人だけでなく、聖書によれば、私たち全員が、舌をコントロールできていないということです。前述のイエスの教えと合わせれば、私たちの「舌」が悪で死の毒で満ちているのは、私たちの「心」が悪で死の毒で満ちているからだということになります。日本語では他にも「悪口を言う」とか「口汚くののしる」などと言いますが、これも、悪かったり汚かったりするのは、私たちの口ではなく、心だということですね。
私の口からも、怒りの言葉、批判的な言葉、不寛容な言葉、失礼な言葉など、言うべきでない、悪い言葉が出てきます。私はそれによって、自分の心が悪いこと、心に罪があることを、証明しながら生きているのですね。
心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ12:34b)
*聖書で心は心臓という臟器を指しているわけではありませんが、漢字の心は心臓の象形です。
聖書には、「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな」と書いてあります(Iペテロ3:10)。私は幸せな日々を願う者ですが、心に問題があり、舌を制することができないため、この命令を守ることができません。では、そんな私は、絶望するしかないのでしょうか。
そうではありません。このような希望のない者に、希望を与えるためにこそ、イエス・キリストが来てくださったのです。弟子として三年間、イエスと寝食をともにしたペテロが、「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった」と証言しています(Iペテロ2:22)。私には到底守れない命令を、イエスは完璧に守ったということです。この命令だけでなく、聖書に書かれているすべての命令について、「私は守れないが、イエスは守った」と言うことができます。でもこのイエスは、恐らくみなさんもご存知のように、十字架で処刑されました。罪のない方が罪とされ、身代わりとなって殺されたのです。それは、罪ある私たちが赦され、いのちを得るためでした。
聖書が書かれたのは、このイエスに、私たちが出会うためです。イエスと出会って、イエスを知って、私たちが信じ救われるために、聖書は書かれました。みなさんが、この連載によって少しでも聖書を覗(のぞ)くことができ、イエスの姿をチラッとでも見ることができたらいいなと願っています。
「漢字の向こうに聖書が見える」のシリーズは、福音歌手森祐理さんのラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で取り上げられました。祐理さんは、CBI Pressから昨年出版されたデボーションガイド、『365日の恵み浴』を使っています。皆さんも、主の恵みを浴びて一日を始めてみませんか?