イエスはなぜ来られたか

12月11日 第346日

ジョン・パイパー(著者)、楠 望(翻訳)-  2023年 12月 11日 - 

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。

(ヘブル人への手紙2:14-15)

この聖句は、アドベントに読むみことばの中でも特に好きな箇所かもしれません。この聖句ほど、イエスの地上での生涯の始まりから終わり——すなわち受肉から十字架に至るまで——を、明確に表現している箇所は他にないでしょう。この二節は、イエスがなぜ来られたかを明らかにしています。それは、死ぬためでした。この聖句は、未信者の友人や家族に、クリスチャンの視点から見るクリスマスの意味を順を追って説明するのに最適でしょう。このように、フレーズごとに読んでみると良いかもしれません。

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので…

「子たち」とは、一つ前の13節に出てくる言葉で、メシアであるキリストの霊的な子孫を指しています(イザヤ8:18; 53:10参照)。「子たち」は「神の子ども」とも呼ばれます(ヨハネ1:12)。つまり、キリストを遣わすにあたって、神は特にご自身の「子たち」の救いを計画しておられるのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどにを愛された」(ヨハネ3:16)というのも真実です。しかし、神が特に「散らされている神の子らを一つに集め」られたのもまた、真実です(ヨハネ11:52)。神のご計画は、キリストを世に与え、その救いをご自身の「子ら」に有効なものとすることでした(Iテモテ4:10参照)。私たちはキリストを受け入れることで、神の子とされます(ヨハネ1:12)。

「…イエスもまた同じように、それらのもの[血と肉]をお持ちになりました…

これは、キリストが受肉の前からすでに存在しておられたことを示します。キリストは霊であり、永遠のことばでした。神とともにあり、神であられました(ヨハネ1:1; コロサイ2:9)。しかしキリストは、血と肉をとり、ご自身の神性に人性を纏われました。まことの神にしてまことの人となられたのです。これは多くの意味で偉大なる奥義です。しかし同時に、私たちの信仰の中心でもあり、聖書が教えていることです。

…ご自分の死によって…

キリストが人となられたのは死ぬためでした。純粋性と統一性を持つ神は、罪人のために死ぬことはできません。しかし、人として死ぬことはできます。キリストの目的は、死ぬことでした。ですから、人として生まれなければならなかったのです。キリストは、死ぬために生まれました。クリスマスの目的は、グッド・フライデー(受難日)にあるのです。これこそ、現代の多くの人々が聞くべき、クリスマスの意味なのではないでしょうか。

…それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔を…滅し…

死によって、キリストは悪魔の牙を抜いたのです。どうやってでしょうか? それは、私たちの罪をすべて覆うことによってです。それは、サタンはもはや、神の御前で私たちを告発する正当な根拠を失ったことを意味します。「だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです」(ローマ8:33)。神は何を根拠に私たちを義と認められるのでしょうか? イエスの血によって、義と認められるのです(同5:9)。

サタンの持つ究極的な武器は、私たち自身の罪です。もしイエスの死がその罪を拭い去るなら、悪魔の最大の武器、死に至らしめる唯一の武器は、その手から奪われます。悪魔は私たちを死刑に処すことはできません。なぜなら、裁判官であられる神が御子の死によって私たちを無罪とされたからです!

…死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。

したがって、私たちは死の恐怖から解放されています。神が私たちを義と認められたからです。サタンはその判決を覆すことはできません。さらに、神は私たちの最終的な安全を、今の人生にすぐ有効になるようにしてくださいました。奴隷の束縛と恐怖が取り去られるハッピーエンドは、今、与えられるのです。

最後にして最大の敵である死を恐れる必要がないなら、私たちにはもはや、何も恐れることはありません。私たちは自由になれます。喜びのために、また人のために、自由になれるのです。

なんと素晴らしいクリスマスプレゼントが神から与えられているのでしょうか! また私たちも、このプレゼントを世に与えることができます!

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Why Jesus Came.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Why Jesus Came