あなたがたが信じるため

12月22日 第357日

ジョン・パイパー(著者)、楠 望(翻訳)-  2023年 12月 22日 - 

イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

(ヨハネの福音書20:30-31)

私が実に心を痛めていることがあります。それは、私のように教会で育ち、偉大な信仰教理を寝ながらでも暗唱することができるような人が、使徒信条のあいだ、あくびをかみ殺しながらやり過ごしていることです。私たちはこのままでいてはいけません。神の御子、すなわち、永遠から御父によって生まれ、神のすべての栄光を反映し、すべてがこのお方によって造られ、全宇宙がこのお方のことばの力によって保たれている、その人格のかたちであられるお方への、畏敬の念と、恐れと、驚きと感動とをもう一度感じるために、何かがなされなければなりません。

今まで書かれたあらゆるおとぎ話、ミステリー小説や怪談を読んだとしても、神の御子の受肉の物語ほど、衝撃的で、奇妙で、変わっていて、人を魅了する物語はないでしょう。

いかに私たちは、死んでしまったようになったのでしょう! あなたの栄光、あなたの物語に対して、なんと冷淡で無感覚になってしまったのでしょうか! ああ、神よ! 一体何度、私は悔い改めこう告白しなければならないのでしょうか。「神よ、ごめんなさい。あなたの真実の物語よりも、人の作った物語によって、私の感情と、畏れと、驚きと、賛美と、喜びは、かき乱されていました。」

永遠の神とキリストの宇宙的な栄光、そしてナザレのイエスによって与えられる神と私たちの真の生きた触れ合いを見つめるとき、私たちはめったに感じることのない驚きと畏れと感動を本当に感じることができるのだということを、せめて、現代のSFスリラーの映画からでも気付かされることもあるでしょうか。それによって、私たちはへりくだり、悔い改めることができるでしょうか。

イエスが「わたしは…そのために世に来ました」と言われたとき(ヨハネ18:37)、あなたが今まで読んだどのSF小説よりも常軌を逸した、風変わりで奇妙で不気味なことを、イエスは言われたのです。

ああ、私は心から祈ります。どうか神の御霊の強い力が、私の、またあなたの内に、割って入ってくださるように。聖霊が私の体験に恐るべき方法で踏み込み、私の目を覚まし、想像を絶する神の現実を見ることができますように。

さほど遠くない将来、太陽のように西から東まで稲妻が空を覆い、燃える炎の中の力ある御使いたちとともに、人の子が雲の中に現れるのです。そのとき、私たちは主をはっきりと見るでしょう。それが恐怖であれ、純粋な歓喜であれ、私たちは畏れおののき、よくもここまでキリストを都合よく解釈し、無害にしておいて、こんなに長く生き延びられたものかと思い巡らすでしょう。

これらのことが書かれたのは——聖書のすべてが書かれたのは——、イエス・キリストが世に来られた神の御子であることを、私たちが信じるため——私たちがただ唖然とし、その驚きに目覚めるためです。

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, That You May Believe.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:That You May Believe