カウンセリングの恵み

ティム・セントジョン(著者)、ブラッシュ木綿子(翻訳)-  2022年 08月 30日 - 

私は、カリフォルニア州トーランスにあるライトハウス・コミュニティ・チャーチで、牧師としてカウンセリングの働きをとりまとめています。私たちの教会には20名以上のカウンセラーがいて、悩んでいる人に福音の希望を届けようと頑張っています。神の恵みにより、この働きは大きくなっています。教会で助けを求める人が増えましたし、他の教会から私たちのカウンセリングについて聞かれることも増えました。

教会でのカウンセリングは最近ブームになっているように感じます。多くの人がカウンセリングについて考えたり、話したりするようになりました。しかし、私たちがライトハウス・コミュニティ・チャーチで行っているような聖書に基づいたカウンセリングは、あなたの教会でもすでに行われています。宣教というみことばの奉仕が教会に与えられた神の恵みであるように、一人ひとりが関係を築いてみことばの奉仕をすることも、神の与えてくださった恵みです。教会の中での日常会話や人間関係においてみことばを語って仕えるとき、私たちは相手が御霊によってキリストに似た者とされる手助けをしているのです(エペソ4:15)。

『ともに祈るとき、私たちは互いに、それぞれの心と生活を神の方へ向ける手助けをするのです。』

しかし、主日の説教でみことばを語ったり、未信者に福音を伝えたりするのに能力や技術、準備が必要なように、日常会話や普通の人間関係の中で真理をもって互いに仕え合うためにもスキルが必要であり、そのスキルを磨かなければいけません(Iテサロニケ5:14)。例えば、友人が不安症で悩んでいると言ったとします。私たちは友人の話を聞き、共感することはできるかもしれません。でも、謙虚に、福音の希望でその友人の心を励ます術を知っていますか。あるいは、友人が罪との戦いで苦しんでいると言ったとします。あなたは、ともに祈り、友人の心の偶像をよりよく理解する質問を、謙虚に尋ねる術を知っていますか。私たちは互いに寄り添い、知恵と愛に富んだ会話をする能力についてよく考え、それを伸ばしていかないといけません。特に、カウンセリングが神から教会に与えられた恵みの手段であるならば、なおさらです。

単純だけれども人間関係の中で実行するのが難しい、神の恵みを互いに分かち合う方法を以下に3つあげたいと思います。

相手をより深く理解するための簡潔な質問をする

普段、どのように会話を始めますか。「最近どう?」と尋ねるのを、会話が始まってから5分くらい経った時点まで待つことを強くお勧めします。会話の冒頭で「最近どう?」と聞くと、「元気?」に近い、ごく表面的な挨拶になってしまいます。でも5分ほど待ってから聞くと、相手のことを本当に気にかけての質問と受け取ってもらえます。

相手の話を聞きながら、深く掘り下げる質問をしてください。まず、何の話をしているのかを明確にする質問をします。(例:〇〇というのはどういうことですか。〇〇はどんな感じなんですか。)次に、詳細を尋ねる質問をします。(例:どのくらいの頻度で起こるのですか。そんなときどうするんですか。)そして、相手が重要だと思っていることに、あなたも関心があることを伝える質問をします。(例:〇〇があなたにとってそんなに良いのは、なんでだと思いますか。〇〇が起きたとして、何が一番心配ですか。〇〇に直面している今、何が一番大変ですか。)

こうした簡潔な質問が、相手の心の偶像を明らかにする助けとなるでしょう。相手にとって大切な信念や願望を理解できたら、相手の置かれている状況についてアドバイスするだけではなく、相手と神との関係について話したり、励ましたりすることができるようになります(箴言20:5; マタイ12:34)。

ともに祈り、永遠の希望を分かち合う

『ともに歩むということは、ゴタゴタがあるということです。失敗するかもしれません。でも、他の人に神の恵みを分かち合っていくと、それは、神が私たちにも恵みをくださる手段なのだと気づかされます。』

愛の表現でもっとも大切でありながら、もっとも実践されていないのが、ともに祈ることでしょう。互いのために祈るべきだと、みんな分かっていると思います。でも、ともに祈るとき、私たちは互いに、それぞれの心と生活を神の方へ向ける手助けをするのです。誰かが自分のために祈ってくれるのを聞くと、私たちは神に目が向き、神の栄光を中心にして自分の世界を見つめ直すことができるようになります。

あなたのために一緒に祈ってくれた人のことを思い出してください。あなたの助けとなったのは、どんな言葉でしたか。その人はどのように、祈りによってあなたに神の希望を与えてくれましたか。私ともう一人の牧師で、私たちに対して怒っている家族が教会に会いに来るのを、座って待っていたときのことを思い出します。その時、その牧師がこのように祈りました。「父なる神様、もしこれがみこころであるなら、苦しくても、彼らの怒りを謙遜に受けとめられるように、お助けください。そして、彼らをよく愛することができるようにしてください。」

この祈りを聞いて、パウロの言葉を思い出しました。クリスチャン同士で訴訟になるほど対立していたコリントの兄弟に対し、パウロは「どうして、むしろ不正な行いを甘んじて受けないのですか。どうして、むしろ、だまし取られるままでいないのですか」(Iコリント6:7)と言ったのです。

牧師の祈りは、苦しみを恐れる必要はないこと、キリストのように愛する機会を与えられたことに感謝しながらこの家族とのミーティングに臨むことができることを、教えてくれました。神は、この簡潔な祈りを用いて、私の恐れを静め、謙遜に愛することができるように、私の心を自由にしてくれたのです。

ともに祈ることは、助けようとしている側であろうと、助けられている側であろうと、私たちみんなに神の恵みが必要なのだということを思い出させてくれます。私たちは祈りの中で、私たちが理解するところの相手の人生を、神と結びつけます。そうすることで祈っている相手が、困難のただ中にあっても、神がどんな方であるかを思い出すことができるからです。

人間関係のゴタゴタ、互いに仕え合う大変さも受け入れる

ともに歩むということは、ゴタゴタがあるということです。失敗するかもしれません。でも、他の人に神の恵みを分かち合っていくと、それは、神が私たちにも恵みをくださる手段なのだと気づかされます。人間関係の中で自分の弱さを経験するとき、私たちの弱さの内に働かれる神の強さが明らかになり、神の栄光がほめたたえられるようになります(エペソ1:6)。

『これは決して、新しいことでも、特別なことでも、目立つことでもありません。私たちは、互いに分かち合うようにと与えられた、驚くべき恵みを持っています。その恵みのゆえに力をおびた普通の会話が、カウンセリングなのです。』

ライトハウス・コミュニティ・チャーチでは、カウンセリングの働きを努力して建て上げてきました。今では、訓練されたカウンセラーがいつでも、苦しみや罪との戦いに押しつぶされそうになっている人たちと、恵みに満ちた会話をすることができるようになっています。でもこれは決して、新しいことでも、特別なことでも、目立つことでもありません。私たちは、互いに分かち合うようにと与えられた、驚くべき恵みを持っています。その恵みのゆえに力をおびた普通の会話が、カウンセリングなのです。

目指すべきはどこでしょうか。エペソ人への手紙4章15節には、「愛をもって真理を語り、あらゆる点においてかしらであるキリストに向かって成長するのです」とあります。神は、愛をもって真理を語る日常会話を用いられます。どうか、私たちが今日話す言葉が互いを高め、教会がますますキリストに似せられていきますように。


This article has been translated and used with permission from the SOLA Network. The original can be read here, The Grace Of Counseling.
この記事は「SOLA Network」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:The Grace Of Counseling