神の理解のうちに憩いましょう
今日も、あなたが混乱してしまうようなことが起こるでしょう。でも安心してください。
すべてを治めておられる神は、決して混乱されませんから。
私たちは、本当に多くを知らないのです。毎日謎に見舞われます。自分の人生がどこに向かっていくのか、確実に予測できる人はいません。自分の身に起こること、親しい人の身に起こること、この世界で起こっていることに、混乱させられることが多いです。一生懸命理解しようとしても、人生にはわからないことがある、これが鉄則のようです。安心を得たり、心を休めたりするために人生をわかろうとしても、無駄だということです。平安は神の知恵と恵みに憩うときにのみ見つけられます。神はすべてをご存知で、ご自分の栄光と私たちの益のために、すべてを司っておられるからです。子どもが小さかったとき、子どものやりたいことをさせてあげないことがありました。子どもは理由がわからないので、駄々をこねます。そんなとき私は膝をついて面と向き合い、こんな風に諭したものです。
「パパがきみを愛しているのを知っているね」
「うん。パパはぼくを愛してる」
「パパはきみに意地悪したり、悪さをしたりするかい」
「ううん、パパは意地悪がきらいだ」
「パパはひどくて悪いパパかい」
「そんなことない」
「じゃあ、パパの言うことを聞くんだ。きみがやりたいことをなんでダメって言うのか、説明したいと思うよ。でもまだきみには難しいから、説明してもわからないだろう。だからね、「なんで」「どうして」って駄々をこねないで信じなさい。『なんでパパがダメって言うのかわからない。でもパパがぼくを愛していることはわかる。だからパパを信じよう』って考えるんだ。パパは本当に、きみのことを愛しているからね」
「ぼくもだよ」
同じように、私たちにはわからないことがたくさんあります。私たちの理解を超えたことがたくさんあるのです。だから、心を休めようと思ったら、父なる神に信頼することです。神は混乱されませんし、本当にあなたの最善を思っておられるからです。確かに、神はあなたに難しいことを命じたり、試練を与えたりされます。でも神は、信頼に値する方で、本当にあなたを愛しておられます。今日、天におられる父なる神は、あなたのところへ来られ、おっしゃるでしょう。「いまあなたが直面していることのすべてが、あなたにはわからない。でも、わたしはあなたを愛している。わたしを信じなさい。そうすれば、他のどこにも見出せない平安が、あなたの心に来るだろう」と。
この記事はポール・デービッド・トリップ著「365日の恵み浴」からの抜粋です。
「365日の恵み浴」の出版記念動画や抜粋文を紹介する記事は、『365日の恵み浴』のシリーズからご覧ください。