アウグスティヌスとその重要性

ライアン・リーブス(著者)、ブラッシュ木綿子(翻訳)-  2024年 06月 18日 - 

アウグスティヌスはほとんどのクリスチャンから愛されています。実際、アウグスティヌスを否定する人は、彼の教えの中で問題だと思われる点を挙げ、その点に関して否定しているだけであり、アウグスティヌスを全否定する人はほとんどいないのです。確かに、西洋のクリスチャンにとって、アウグスティヌスはキリスト教思想の歴史において比類なき人物です。実際、彼の著作や働きによって形成されていかなかった主題はほとんどありません。

アウグスティヌスの生涯

私たちは、アウグスティヌスの生涯、彼の生きた世界、また彼の残した著作について、実に多くのことを知っています。これはアウグスティヌス自身が私たちに彼の生涯の見取り図を残してくれたからです。まず霊的な自伝(『告白』)があり、晩年には多くの神学の著作があります。彼と同じ時代に生きた他の人々と比較すると、私たちはアウグスティヌスの人生の紆余曲折をすべて知っているかのようなのです。

『アウグスティヌスの著作の中で、少なくともその後の歴史において最も重要な主題は、教会の特質と恵みです。』

アウグスティヌスは北アフリカの都市タガステに生まれました。彼が生まれた頃、ローマの世界ではコンスタンティヌスの回心によって潮目が変わり、クリスチャンに対する迫害はもはやありませんでした。帝国の各地に、正統キリスト教神学の確固とした拠点がいくつも存在したのです。北アフリカはこうした拠点のひとつでした。実際、北アフリカは現代のバイブルベルト【訳注: アメリカ南部・中西部のキリスト教篤信地帯】に似ていました。他の世界観や生ぬるい信仰に強く抵抗する、誇り高き教会がたくさんありました。北アフリカのクリスチャンは侮れない存在だったのです。

アウグスティヌスの母モニカは、こうした北アフリカのクリスチャンの条件にぴったり当てはまる人物でした。イエスのためにヘリコプターで息子を追跡するような母親がいるとしたら、それは彼女のことです。アウグスティヌスの快楽と成功の人生において、母親の存在が常にありました。

アウグスティヌスは修辞学の天才でした。ローマ世界における修辞学の力を現代の人に伝えることは、ほぼ不可能です。修辞学は群衆を魅了することができました。話者は知恵や語りの美しさだけでなく、様々なシンコペーションのリズムをも用いて弁論しました。(このため、修辞学をヒップホップに擬える人もいるくらいです。)修辞学の専門家は希少な技術を有するエリートであり、弟子をたくさん抱えて技術を磨く必要がありました。そして修辞学を極めれば、高収入と栄誉の約束されたキャリアパスを歩むことができたのです。

『アウグスティヌスの著作のもう一つの焦点は、恵みの本質、自由意志、福音に当てられました。』

アウグスティヌスは若いころ、修辞学で生きて行こうとしました。彼は修辞学に秀で、これによってまずローマへ、次いでミラノへとたどり着きました。ミラノは西ローマ帝国の皇帝の拠点であり、優秀な修辞学者が集まっていました。しかしこのミラノでアウグスティヌスは、異教の修辞学者たちだけでなく、修辞術において誰にも引けを取らない地元の司教、アンブロジウスとも対峙することになります。アンブロジウスとアウグスティヌスの関係はどんどん深まり、ついにアンブロジウスの説教によってアウグスティヌスは回心し、キリスト教の信仰を持つに至りました。アウグスティヌスの回心のために長年にわたって祈り続けた母モニカは、息子の洗礼を見届けるまで長生きすることができました。

アウグスティヌスは、祈りと内省の生活を送るために故郷のアフリカに戻りました。しかし教会はアウグスティヌスの人生に対して別の考えを持っており、すぐに彼をヒッポの司教職へと引き抜きました。神学、文化、聖書、その他信仰生活におけるあらゆる主要なテーマについてのアウグスティヌスの著作は、ほぼすべて、彼がヒッポで司教をしていたときに書かれました。

アウグスティヌスとその敵対者

アウグスティヌスの著作は、弱い神学に対する勇敢な攻撃で最もよく知られています。アウグスティヌスは、キリスト教と異教と神秘主義の洞察の融合で、当時流行していたマニ教の根元に斧をあてました。自身が若いころにこのような見解を持っていたことから、アウグスティヌスは読者がこのような教えに永遠に足を踏み入れないよう、しっかりと扉を閉ざすことに尽力したのです。

しかし、アウグスティヌスの著作の中で、少なくともその後の歴史において最も重要な主題は、教会の特質と恵みです。

教会の特質についてのアウグスティヌスの考察は、概してドナトゥス派に対してなされたものでした。ドナトゥス派は、悔い改めた司祭を再び教職に戻すよりも、むしろ交わりを断ち切ることを良しとする、純潔主義のグループです。アウグスティヌスの教えは牧師の罪の問題を認めますが、教会が「この世」にあって清められると信じる人々に厳しく注意を促しています。教会も、教会の牧師も、不完全な罪人なのであり、キリストの再臨の前に麦と毒麦を分けることは不可能です。分けようとすれば、誤った純潔の概念のために教会を分裂させることになると、アウグスティヌスは主張しました。清さを求める熱意は、究極的にプライドにつながるのです。

『アウグスティヌスは、御霊の働きなしには、律法も私たちの意志も、私たちを完全な悔い改めに導くことはできないとする、パウロの言葉を全面的に支持しました。』

アウグスティヌスの著作のもう一つの焦点は、恵みの本質、自由意志、福音に当てられました。この分野でアウグスティヌスは多く読まれ、高く評価されています。アウグスティヌスは著作のエネルギーを、信仰生活の基本は律法への従順であるとした当時のペラギウス派の動きに向けました。

アウグスティヌスは、御霊の働きなしには、律法も私たちの意志も、私たちを完全な悔い改めに導くことはできないとする、パウロの言葉を全面的に支持しました。アウグスティヌスは、壊れた秤でも市場で果物の重さを量ることができるように、私たちもある意味では自由意志を持っているが、神が私たちの見る目と聞く耳を回復してくださらない限り、神のものを正しく量ることはできないと論じました。そうであるとすれば、聖化の恵みも神の賜物です。私たちの功績ではありません。ペラギウス派の主張がもし正しいとすれば、福音は却下されるのです。

アウグスティヌスとその群れ

しかし今日、私たちがアウグスティヌスについて知っていることは、彼が悪い神学に対して記した著作の総体以上です。アウグスティヌスは牧師でした。当時、司教はその権威と同じくらい、説教でも知られていました。アウグスティヌスも、多くの時間を講壇に立った人物です。

今日、私たちがアウグスティヌスの牧師としての生涯をよりよく知ることができるようになったのは、学者たちが彼の極論的な著作だけでなく、むしろ彼の説教に注目しているからです。講壇に立つアウグスティヌスのイメージは、優しく繊細で、常に大衆にわかりやすいように、自分の頭の中にある豊かな神学を「翻訳」することのできる説教者です。アウグスティヌスは、果てしない哲学的な論争ではなく、すべてのことにおいて神の愛に心を捕らえられることを信仰者のゴールとして掲げた人物だったのです。


This article has been translated and used with permission from The Gospel Coalition. The original can be read here, Who Was Augustine and Why Was He Important?.
この記事は「The Gospel Coalition」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文こちらからご覧いただけます:Who Was Augustine and Why Was He Important?