神の満ち満ちた豊かさを楽しむ

2月22日 第53日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 02月 22日  - 

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。

(ヨハネの福音書1:16)

先週の日曜日の礼拝が始まる少し前、祈りの聖徒たちが集まって、会衆の信仰のため、ツインシティーの教会のため、そして国々のために、熱心に祈り戦っていました。ふと一人の男性が、ヨハネの福音書1章14、16節のことばを祈りました。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。……私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた

その瞬間、私はハッとさせられました。神は「満ち満ちた豊かさ」という言葉——つまり神の満ち満ちた豊かな状態——を通して、私に圧倒的な「満ち満ちた豊かさ」を与えてくださったのです。少なくとも私は、このことばが本当に意味するもの——キリストの満ち満ちた豊かさ——を感じました。

私は、少なくともそこに不思議な感覚を得たのです。そうです、確かに私は、この満ち満ちた豊かさから、恵みの上にさらに恵みを受けていました。そしてその瞬間も、私は恵みの上にさらに恵みを受けていました。まさにそのとき、私は、その午後ただひたすらに主の足もとに座って——または聖書を読んで——主の満ち満ちた豊かさがあふれ流れるのを感じることができれば、それほど甘いひとときはないと思いました。

なぜこれほどまでに、この満ち満ちた豊かさが私を大きく揺さぶったのでしょうか? そして今もなお、いつになく私を突き動かすのでしょうか? その理由の一部をここに記してみます。

  • 私がどっぷり浸かっているこの恵みを注いでおられるお方は、神とともにあり、神であられたことば(ヨハネ1:1-2)であり、したがって、その満ち満ちた豊かさは神の満ち満ちた豊かさ——神性なる、無限の満ち満ちた豊かさです。
  • ことばは肉となり、私たちと同じ姿となり、ご自身の満ち満ちた豊かさで私たちを追い求めてくださいます。その満ち満ちた豊かさは、私たちの手の届くものです。
  • このことばが、人のかたちとなって現れたとき、そのお方の栄光が明らかになりました。そのお方は、栄光に輝く、満ち満ちた豊かさです。
  • このことばは「父のみもとから来られたひとり子」(ヨハネ1:14)です。それゆえ、神性なる満ち満ちた豊かさは、ひとり子を仲介者として神から与えられたというだけでなく、神ご自身を通して与えられたと言えます。神はその満ち満ちた豊かさを与えるために、天使ではなく、ご自分のひとり子を遣わされました。
  • 御子の満ち満ちた豊かさは、恵みの満ち満ちた豊かさです。私はこの満ち満ちた豊かさに溺れることはありません。むしろ、この満ち満ちた豊かさによって、あらゆる祝福を受けます。
  • この満ち満ちた豊かさは、恵みだけでなく真理の豊かさです。私は、真理を無視し、おだてられて恵みを受けているのではありません。この恵みは岩の上に堅く立つ恵みです。

さて、これだけの理由があるのですから、キリストの満ち満ちた豊かさに驚き、喜びに満ち溢れることは、なにも不思議なことではありません!

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Enjoying His Fullness.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: Enjoying His Fullness