祈りの感嘆符

3月17日 第77日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 03月 17日  - 

神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

(コリント人への手紙第二1:20)

祈りとは、約束への応答であり、約束とは、神が将来与えてくださる恵みの保証です。

祈りとは、神が預金してくださったすべての将来の恵みの口座から引き出すようなものです。

祈りとは、もしかしたら善意ある神がどこかにおられるかもしれないと、暗闇の中で願うことではありません。祈りは神の約束に預け、毎日銀行に行き、その日ごとに必要な将来の恵みを引き出すのです。

この素晴らしい聖句の、前半と後半との繋がりを見過ごしてはいけません。「それで」という言葉に注目してください。「神の約束はことごとく、キリストにおいて「はい」となりました。それで(したがって)私たちは、この方によって「アーメン」と祈り、神に栄光を帰するのです。」[英文に合わせて少し変えています]

もっとわかりやすいように、前半後半を入れ替えてみましょう。私たちが祈るとき、キリストによって神に「アーメン」と言います。なぜなら、神の約束はことごとく、キリストにおいて、明白に「はい」とすでに言われたからです。祈りとは、神が将来の恵みの約束を果たしてくださるよう、確信をもって神に乞い願うことです。これは、キリストのために願うのです。祈りは、将来の恵みを信じる信仰と、そのすべての土台であるイエス・キリストとを結びつけます。

これを踏まえて、最終的なポイントは、「アーメン」は祈るときに用いる、完全かつ尊い言葉であるということです。そもそもこの言葉は「はい、これが私の祈りです」という意味ではなく、「はい、神がすべて約束してくださいました」という意味です。

アーメンとは、「そうです、主よ、あなたは必ずおできになります」、を意味します。「そうです、主よ、あなたには力があります。そうです、主よ、あなたには知恵があります。そうです、主よ、あなたは憐れみ深いお方です。そうです、主よ、将来の恵みはあなたから来るのであり、それはキリストによって承認されています。」

「アーメン」は、助けを求める祈りの最後に付く、希望と保証された確信に満ちた感嘆符なのです。

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Prayer’s Exclamation Point.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: Prayer’s Exclamation Point