神が御子を愛されたほどに確かなこと

3月29日 第89日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 03月 29日  - 

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

(ローマ人への手紙8:32)

神は、あらゆる痛みから、その破壊的な力を削ぎ取られます。そう信じなければ、あなたはクリスチャンとして現代の生活のプレッシャーや誘惑の中でうまくやっていけませんし、もしかすると生き残ることすらできないかもしれません。

あまりに多くの痛み、挫折、落胆があり、あまりに大きな議論やプレッシャーがあります。そのようなとき、全能の神がすべての挫折、落胆、議論、プレッシャー、そして痛みから、破壊的な力を削ぎ取り、それらをむしろ神にある私の喜びとして大きく用いてくださることを信じることができなければ、私はどこに助けを求めて良いのかわかりません。

コリント人への手紙第一3章21-23節の、パウロの驚くべきことばを読んでみましょう。「すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものです。」 世界は私たちのもの、いのちは私たちのもの、死は私たちのものです。私はこれを、次のように理解します。神は、その選ばれた民のために、最高位の存在として支配されるので、従順と宣教の人生の中で私たちが直面するものはすべて、神の力強い御手によってその力を抑えられ、私たちのきよさと神にある永遠の喜びのしもべとされます。

神が私たちの味方なら、そして神が神であられるなら、私たちに敵対できるものは何もありません。神はご自分の御子さえも惜しむことなく、私たちすべてのために与えられたのですから、間違いなく、進んで、すべてのものを私たちに与えてくださるでしょう。この世界、いのち、死、そして神ご自身、すべてを——。

ローマ人への手紙8章32節は、親友のような聖句です。神の将来の恵みの約束には、とにかく圧倒されます。しかし、一番重要なのは、その土台です。私はこれを、天の論理と呼んでいます。ここに、あらゆる障害物に立ち向かう場所があります。神はご自分の御子をも、惜しまれませんでした! ですから、それゆえ、天の論理によれば、どうして、キリストが死によって贖ってくださったすべてのもの——すべての良いもの、そして悪く見えても私たちの益となるすべてのものを——私たちに与えるために、神がその労力を惜しむことなどあるでしょうか。

それは神が御子を愛されたほどに、確かなことなのです!

 聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, As Sure as God’s Love for His Son.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます: As Sure as God’s Love for His Son