5月30日 第151日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 30日 - この記事は約1分で読めます。
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 (エペソ人への手紙2:8-9)
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
新約聖書は、信仰と恵みを相互に関連づけることで、恵みのみで成就したことを私たちが誇らないようにしています。
中でも最もよく知られているのが、エペソ人への手紙2章8節です。恵みのゆえに、信仰によって。ここには、恵みの自由を守る相互関係があります。恵みのゆえに、信仰によって。
信仰とは、自分自身の不足さに背を向け、神の自由で完全な満ち満ちた充足に目を向ける、魂の行動です。信仰は、ふさわしくない者に恵みを与えてくださる神の自由に重点を置きます。神の恵みにより頼むのです。
ですから信仰は、その本来の性質から、誇ることを無効にし、恵みと合致します。信仰が目を向けるところにはどこでも、ほめたたえられるべき行いの影に恵みが見えます。ゆえに信仰は誇ることはできません。誇るなら、恵みの創始者である主をのみ誇ります。
パウロが、救いは恵みのゆえに信仰によって、の後にこう言ったのはそのためです。「それはあなたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2:8-9)。信仰は人間の善や能力や知恵を誇ることはできません。なぜなら、信仰が重視するのは、自由ですべてを満たす神の恵みだからです。信仰が目にするすべての良いものは、恵みの実として見えています。
信仰が私たちの「神からの知恵、すなわち、義と聖と贖い」を見るとき、信仰は「誇る者は主を誇れ」と言うのです(Iコリント1:30-31)。