6月3日 第155日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 03日 - この記事は約2分で読めます。
かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。 (ローマ人への手紙4:20-21)
かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
パウロは、信仰が神の将来の恵みに栄光を帰す特別な理由について考えていました。簡単に言うと、この神に栄光を帰す信仰は、すべての約束を成し遂げてくださる神の誠実と力と知恵への将来に根差した確信です。
パウロはこの信仰を、神の約束に応えるアブラハムになぞらえて説明しています。アブラハムは年老いて、妻は不妊であったにもかかわらず、神はアブラハムを多くの国民の父とすると約束されました(ローマ4:18)。「彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ」ました。つまり、人間的な条件がすべて正反対であっても、アブラハムは神の約束の将来の恵みを信じたのです。
彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。(ローマ4:19-21)
アブラハムの信仰は、彼を多くの国民の父とするとされた神の約束を信じる信仰でした。この信仰は、約束の成就に必要な神の全地全能と超自然的な力にのみ目を向けた信仰だったため、神に栄光を帰すものとなりました。
アブラハムは子どもを得るには年を取り過ぎ、サラは不妊でした。それだけではありません。いったいどのようにして、一人や二人の息子を、神がアブラハムをその父とすると言われた「多くの国民」にすることができるのでしょうか? どれをとっても、まったく不可能に思えます。
ですから、アブラハムの信仰は、人間には不可能なことも神は成すことがおできになる、いや、成してくださる、と確信することによって、神に栄光を帰しました。このような信仰を持つよう、私たちも招かれています。私たちが自分では決してできないことを、神は私たちのために成してくださると信じる信仰です。