祈りは罪人のためにある

6月9日 第161日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 09日  - 

「主よ。……私たちにも祈りを教えてください。」

(ルカの福音書11:1)

神は、完全な人の祈りではなく、罪人の祈りに答えられます。そして、もしあなたの祈りが十字架に目を向けたものではなく、それに気付かないなら、あなたは祈りにおいて完全に言葉に詰まってしまうかもしれません。

旧約聖書には、罪深い人が祈り叫ぶのを神が聞いてくださる箇所が多くあります。彼らは自分たちの罪から問題に陥り、救いを求めて叫んでいるのです(例えば、詩篇38:4, 15; 40:12-13; 107:11-13)。では、ルカの福音書11章はどうでしょうか。ここには、二つの神の応答があります。

ここに記される主の祈り(ルカ11:2-4)の中で、イエスはこう言っています。「祈るときには、こう言いなさい。」 そして4節では「私たちの罪をお赦しください」という嘆願の祈りが含まれています。つまり、祈りの初めの部分と中ほどの部分を繋げると、こうなるのです。「いつでも祈るときには、こう言いなさい……私たちの罪をお赦しください。」

私は、この部分が「御名があがめられますように」と同じくらい、祈りの一部であるべきだと捉えています。つまりイエスは、私たちが祈るたびに罪の赦しを求める必要があることを当然とされているのです。

言い方を換えれば、私たちはつねに罪人であるということです。私たちがすることはすべて不完全です。死を目前にしたマルティン・ルターが、「私たちは物乞い(beggers)だ。それは真実だ」と言ったとおりです。私たちが祈る前に何らかの従順を成し遂げていたとしても、主の前に出るとき、私たちは誰もがつねに罪人です。そして神は、罪人がこのように祈るとき、決してその祈りに背を向けられることはなさいません。

それが見られる別の箇所は、ルカの福音書11章13節です。「ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」

イエスはご自分の弟子たちを「悪い者」と呼ばれました。かなり厳しい言葉です。ただ、彼らがイエスとの交わりの中から除かれたとは言っておられません。彼らの祈りは聞かれないということを意味したのではないのです。

イエスは、この堕落した時代が続く限り、ご自分の弟子たちさえ悪を抱き、その悪が彼らのあらゆる行いを汚すことを意味しながらも、イエスの愛と力に頼るなら、多くの良い行いをすることからも遠ざけられることはないと言われました。

私たちは悪であると同時に贖われています。私たちは聖霊の力によって、徐々に悪を克服しています。しかし、私たちの生まれつき腐敗した部分は、回心によって消失するわけではありません。

私たちは罪人であり、物乞いです。そしてこの罪を認め、罪を放棄し、罪と戦い、私たちの希望であるキリストの十字架にすがるなら、神は私たちの声を聞き、祈りに答えてくださいます。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Prayer Is for Sinners.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Prayer Is for Sinners.