6月10日 第162日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 10日 - この記事は約2分で読めます。
怠け者は言う。「獅子が通りにいる。私は広場で殺される」と。 (箴言22:13)
怠け者は言う。「獅子が通りにいる。私は広場で殺される」と。
この箴言のことばは、私にとって意外でした。こう言うなら、わかります。「臆病者は言う。『獅子が通りにいる。私は広場で殺される』と。」 しかし箴言には、「臆病者」ではなく「怠け者」とあります。つまり、ここで支配している感情は、恐れではなく怠惰です。
しかし、怠惰が、通りにいる獅子の危険とどう関係があるのでしょうか? 「あの人は怠け者だから、通りに獅子がいるため仕事に行かない」とは、あまり聞かないセリフです。
ここで教訓とされているのは、怠け者は仕事をしないことを正当化するために、架空の状況を作りだし、それによって自分の怠惰という悪癖から獅子の危険へと焦点をずらしているということです。その人が怠け者だからといって、一日中家にいることを認める人はいないでしょう。しかし、通りに獅子がいると言ったら、許されるかもしれません。
この聖書の深い洞察から私たちが学ぶべきことは、私たちの心は、自分の望むものを正当化するために知性を利用するということです。つまり、私たちの心の奥底にある願望は、私たちの知性の理性的な機能より優先され、その願望が間違ったものであろうとも、それが正しく見えるような認識や考えを持つよう、知性を動かします。
それが、怠け者のしていることです。怠け者は、仕事をせず家にいることを心底望んでいます。しかし家にいるための良い理由はありません。そこで、どうするでしょうか? 彼は自分の怠惰という悪い願望を克服しますか? いいえ、自分の願望を正当化するために、知性を利用して非現実的な状況を作り出すのです。
イエスは言われました。「光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛してことである」(ヨハネ3:19)。私たちは闇を愛しています。そうすれば、見つからずに自分のしたいことをし続けられるからです。この状態では、知性は闇を作り出す工場となり、中途半端な真理、ごまかし、へりくつ、言い逃れの泉となります。心にある悪の願望が発覚し、壊されないために、あらゆる手段で守ろうとします。
よく考え、賢くなりましょう。