6月12日 第164日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 12日 - この記事は約2分で読めます。
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。 (ローマ人への手紙12:3)
私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
この聖句の文脈では、パウロは人々が「思うべき限度を超えて思い上がって」いることを懸念しています。この高慢に対し、パウロが最終的に打ち出した解決法は、霊的賜物は私たちの人生に与えられた神の無償の恵みによるわざであるだけでなく、私たちがその賜物を「神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて」用いる信仰そのものもまた、神の賜物であるということを伝えることでした。
これは、私たちが誇る根拠が徹底的に取り去られたことを意味します。賜物を受ける資格すらも賜物であるなら、私たちは何を誇ることができるでしょうか?
この真理は、私たちの祈り方に深く影響します。イエスは、ルカの福音書22章31-32節で祈りの手本を示しておられます。ペテロがイエスを三度知らないと言う前に、イエスはペテロのためにこう祈られました。「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
イエスは、ペテロが主を否定するという罪を犯しても、彼の信仰が保たれるように祈りました。それは、信仰を与えるのは神であることをイエスが知っておられたからです。私たちも、イエスのように祈るべきです。私たち自身のために、また他の人のために、神が信仰を保ってくださるよう、祈りましょう。
てんかんを持つ息子のために父親が祈ったのも、この祈りです。「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)。これは、良い祈りです。この祈りは、神の助けがなければ、私たちは本来信じるべきことも信じることができないと認める祈りです。
どうか私たちが、日々このように祈ることができますように。「ああ主よ、信仰を与えてくださり感謝します。この信仰を保ち、強くし、深めてください。この信仰がなくならないように守ってください。この信仰が私の人生の力となり、私のすべての行いを通して、偉大なる与え主であるあなたが栄光を受けますように。アーメン。」