世界一の幸せ者

10月2日 第276日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 02日  - 

は 国々のはかりごとを破り/もろもろの民の計画をくじかれる。/のはかられることは とこしえに立ち/みこころの計画は 代々に続く。

(詩篇33:10-11)

「私たちの神は 天におられ/その望むところをことごとく行われる」(詩篇115:3)。このみことばの意味するところは、神はご自分の望むことを何でも行う権利と力を持っておられるということです。神を主権者と呼ぶのは、このためです。

考えてみてください。神が主権者であり、ご自分の望むことを何でもできるなら、神の目的がくじかれることは決してありません。「は 国々のはかりごとを破り/もろもろの民の計画をくじかれる。/のはかられることは とこしえに立ち/みこころの計画は 代々に続く」(詩篇33:10-11)。

そして神の目的が決してくじかれないなら、神はこの世で一番幸せなお方なのではないでしょうか。

この限りない、神聖な幸せの泉こそ、クリスチャン(快楽主義者)たちがこぞって喉を潤し、さらに深い満たしを慕い求める源です。

この世界を治める神が不機嫌だなんて、想像できますか? もし神が不満を言ったり、ふてくされたり、落ち込んだりするような、ジャックと豆の木に出てくる雲の上の巨人のような存在だったらどうでしょうか? もし神がイライラし、憂鬱で暗く、満足せず、意気消沈しているとしたら?

私たちは果たして、ダビデとともにこう告白できるでしょうか? 「神よ あなたは私の神。/私はあなたを切に求めます。/水のない 衰え果てた乾いた地で/私のたましいは あなたに渇き/私の身も あなたをあえぎ求めます」(詩篇63:1)。おそらく無理でしょう。

私たちはきっと、いつも不機嫌で憂鬱で暗く不満げな父親を持つ子どものように、神に接するようになってしまいます。もはや神を楽しむことはできません。できるだけ神の気を損ねないように過ごすか、少しでも好意を得るために、神のために何かをしようと頑張るかしかないでしょう。

しかし、神はそのようなお方ではありません。神が苛立ちや落胆によって気分を害することなど、決してありません。詩篇147篇11節には、神は「御恵みを待ち望む者……をは好まれる」、とあります。ですから、クリスチャン快楽主義者として私たちが目指すのは、神を避けたり、神から遠ざかったり、しかめっ面の父が怒らないようにしのび足でリビングをすり抜けることではありません。私たちが目指すのは、神の御恵みを待ち望むことです。神に駆け寄ることです。神の中で幸せを感じ、神を喜び、神との交わりと愛を味わい、楽しむことなのです。

{※クリスチャン快楽主義(Christian Hedonism)とは何か}

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, God Isn’t Gloomy.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:God Isn’t Gloomy.