10月3日 第277日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 03日 - この記事は約2分で読めます。
「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、……」 (出エジプト記34:6)
「主、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、……」
神は恵みとまことに富んでおられます。
このことから、連想するものが二つあります。
「富む」という言葉を神が用いるとき——「恵みとまことに富み」——、神の恵みという資源は決して尽きることがないことを私たちが理解し感じ取ることが求められます。この山の泉から一日中水を飲んでも、何年も、いや何世代にも渡って飲んだとしても、決して水が乾くことはありません。
神は、必要に応じてただお金を増刷する政府のようだとも言えるでしょうか。尽きることがない、確かにそうでしょう。しかしそこには違いがあります。神は、発行する通貨をすべて恵みの金で覆うことができるほど、無限の宝庫を持っておられます。政府の資源は実際は夢物語です。しかし神は、ご自分の神聖なる無限の資源から、まぎれもなく「現実的な」銀行を経営されるのです。
神の絶対的存在、主権的自由、そして全能性が、溢れんばかりの火山のエネルギーとなって恵みが流れ続けます。神の圧倒的な壮大さは、神には不足がなく、私たちが何かを補充する必要はないことを意味します。むしろ神の無限の自己充足性は、神を必要とする私たちへの——罪人への——恵みとなって溢れ出し、イエスにあって、私たちは神ご自身を賜物として受けるのです。
私たちは神の恵みを信頼することができます。その根拠はまさに、神の絶対的存在、主権的自由、そして限りない力にあります。