最後に負けを見ることはない

4月12日 第103日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 04月 12日  - 


「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」

(マタイの福音書27:65)

イエスが死んで葬られ、墓の入り口が大きな石で封じられたとき、パリサイ人たちはピラトのもとに来て、石を封印し墓の番をしたいと願い出ました。

彼らは全力を尽くしましたが、無駄に終わりました。

当時も今も、そしてこの先も絶望的です。どれだけ努力しようと、イエスを死んだままにすることはできません。イエスを墓の中に留めることはできないのです。

理解できないようなことではありません。イエスは無理やり墓に入れられたのではないのですから、そこから出ることもおできになるのです。イエスは自ら、誹謗中傷や嫌がらせを受け、追いやられ、軽蔑され、突き飛ばされ、殺されたのです。

わたしが再びいのちを得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。(ヨハネ10:17-18)

誰もイエスを死に留めることはできません。なぜなら、一人もイエスを倒した者はいないからです。イエスはご自分の準備が整ったときに、自ら倒れられたのです。

イエスは墓に永遠に葬られたかのように見えましたが、その暗闇の中で、素晴らしいことをしておられました。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません」(マルコ4:26-27)。

この世はイエスが負けた、イエスを追い払った、と思いました。しかしイエスは、暗闇の中で御業をなすお方です。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)。イエスは自ら墓に葬られました。「だれも、わたしからいのちを取りません。」 そして、イエスは良いとき、良い場所に、御力のうちに墓から出て来られるのです。「わたしには……[いのちを]再び得る権威があります。」

「しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです」(使徒2:24)。イエスは今、「朽ちることのない、いのちの力によって」祭司として働いておられます(ヘブル7:16)。

20世紀ものあいだ、世界は全力を尽くしてきましたが、無駄に終わりました。イエスを葬ることはできないのです。イエスを墓の中に留まらせることはできません。イエスを黙らせたり、阻止したりすることもできません。イエスは生きておられ、完全に自由に、ご自分の願うままに行き、また来られるのです。

何があろうとも、イエスを信じ、イエスとともに歩んでください。あなたが最後に負けを見ることは、絶対にありません。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, You Cannot Lose in the End.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:You Cannot Lose in the End.