4月15日 第106日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 04月 15日 - この記事は約2分で読めます。
あなたがたは / 分別のない馬やらばのようであってはならない。 / くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければ / それらは あなたの近くには来ない。 (詩篇32:9)
あなたがたは / 分別のない馬やらばのようであってはならない。 / くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければ / それらは あなたの近くには来ない。
想像してみてください。神の民が、農場にいる色々な種類の家畜のようだとしましょう。神は家畜を世話し、家畜が行くべき場所を示し、家畜を守るための小屋を用意されます。
しかしこの農場には、唯一神を悩ませる動物がいます。それは、らばです。らばは愚かで、頑固で、もはや愚かさと頑固さのどちらが先かもわかりません。
さて、神が世話をする家畜を小屋に入れ、餌を与え、安全な場所を与えるために、神は家畜にそれぞれ名前があることを教え、その名を呼ばれます。「私は あなたが行く道で / あなたを教え あなたを諭そう」(詩篇32:8)。
しかし、らばはそのような諭しに耳を貸しません。らばは理解ができないのです。そこで神は、荷台付きのトラックを出して野原へ出て行き、らばの口にくつわや手綱を付け、トラックに結びつけて、足を突っ張り鼻を鳴らすらばを小屋まで引っ張って行かれます。
神はご自分の家畜たちが、こんな風にして神の祝福と守りの中に入ってほしいとは思っておられません。
いつの日か、らばは間に合わないでしょう。雹に打たれ、雷が落ち、走って逃げてきたとしても、もう小屋の扉は閉まっているのです。
ですから、らばのようであってはなりません。「あなたがたは / 分別のない馬やらばのようであってはならない。 / くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければ / それらは あなたの近くには来ない。」
それよりも、神がおられるうちに、敬虔な人はみな祈りによって神のもとへ来ますように(詩篇32:6)。
らばにならないためには、自らをへりくだらせ、祈りによって神のもとへ行き、罪を告白し、農場に住むか弱い小さなひよこのように、神が守り養ってくださる小屋へ導かれるままに、受け入れることです。