赦しを求める祈りかた

5月3日 第124日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 03日  - 

神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し[てくださいます]。

(ヨハネの手紙第一1:9)

私の通っていた神学校の教授の一人が、ある人の神学を見極める最善の方法は、その神学がその人の祈りにどれだけ影響しているかを見ることだと言っていたのを思い出します。

この言葉が真実として心に残ったのは、そのときちょうど私の人生にあることが起こっていたからでした。私は、妻のノエルと結婚したばかりで、毎晩二人で祈ることを習慣としていました。そうすると、私の神学を最も深く形造っていた聖書学のコースを学んでいたあいだに、私の祈りが劇的に変化したことに気付いたのです。

おそらくその頃の最大の変化は、神の御前で、神の栄光を根拠として、自分の考えを主張することを学んだことでしょう。「あなたの御名が聖なるものとなりますように」から始まり、「イエスの御名によって祈ります」と締めくくるのは、神の御名の栄光こそが、私の祈るすべての目的であり根拠であることを意味します。

そして、赦しを求めて祈るとき、その祈りは神の憐れみに訴えるだけでなく、神の御子による従順の価値を称賛し、それに基づく神の義に訴えるものであるべきだということを学んだとき、どれほど大きな力が私の人生に与えられたことでしょうか。神は真実で正しい方ですから、あなたの罪を赦してくださるのです(Iヨハネ1:9)。

新約聖書では、すべての罪の赦しの根拠が、旧約聖書の時代よりも明確に示されています。しかし、その根拠、すなわち神のご自分の御名に対する誠実は、変わっていません。

パウロは、神が罪を見逃してこられたことにおいて、キリストの死は神の義を明らかにし、そして自分自身ではなくイエスを信じる罪人を義と認めることで、神ご自身が義であることを証明したと教えています(ローマ3:25-26)。

言い換えれば、キリストは、有罪である罪人をただイエスのために無罪放免にするという、一見するととんでもない正義の誤審であるかのように見える赦しにおいて、神の御名を晴らすために、すべての人のためにただ一度死なれました。しかしイエスの死は、「イエスのための」赦しであると同時に「神の御名のための」赦しでもありました。そこに誤審はありません。神の御名、神の義、神の正義は、神を尊ぶ犠牲を献げるという行為そのものにおいて、証明されています。

イエスは最後のときを迎えて、こう言われました。「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。父よ、御名の栄光を現してください」(ヨハネ12:27-28)。まさに、神はそのようになさいました。それによって神は、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示されたのです(ローマ3:26)。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, How to Ask Forgiveness .
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:How to Ask Forgiveness .