5月6日 第127日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 06日 - この記事は約2分で読めます。
こうして、民はみな帰って行き、……大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。 (ネヘミヤ記8:12)
こうして、民はみな帰って行き、……大いに喜んだ。教えられたことを理解したからである。
神にふさわしい輝きを放ち、神をほめたたえる愛に満ちた唯一の喜びは、神の真の知識に根差した喜びです。そして私たちの知識は小さく欠けたものですから、その喜びは神の真の素晴らしさにはあまりに貧弱なものに過ぎません。
ネヘミヤ書8章12節に記されるイスラエルの民の体験は、神をほめたたえる喜びがいかにして心に起こるかを描いています。エズラは神のことばを民の前で読み、レビ人がそれを説明しました。そして民は「大いに喜ん」で帰って行ったのです。
民が大いに喜んだのは、彼らがそのことば——真の神のことば——を理解したからです。
私たちの多くもまた、神のことばが明かされて、このような心の内に燃えるような喜びの体験を味わったことがあります(ルカ24:32)。イエスは二度、弟子たちの喜びのために彼らを教えたと言っておられます。
そして、私たちは主ご自身——神ご自身——が自らを現され、私たちが主を知り、楽しむことができるようになさる姿を、みことばを通して目の当たりにするのです。「主はシロで主のことばによって、サムエルにご自分を現されたのである」(Iサムエル3:21)。
つまり大切なことは、こうです。もし私たちの喜びが神の栄光を反映するなら、それはいかに神が栄光に輝くお方であられるかという真の知識から流れ出るものでなければなりません。もし私たちが神を十分に楽しむなら、私たちは真に神を知らなければならないのです。