光の先にある光

5月18日 第139日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 18日  - 

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。

(コロサイ人への手紙3:1-2)

イエス・キリストは私たちに回復を与えます。ですから、上にあるものを求めましょう。この夏、キリストを他のつまらないものに置き換えないでください。キリストから逃れて、キリスト抜きのレジャーを楽しんでも、魂を干上がらせるだけです。

初めは自由を手に入れたかのように感じ、祈りを適当にやったりみことばを無視するのを楽しく思うかもしれません。しかし、必ずそのツケがきます。浅はかで無力になり、罪に対して貧弱になり、些細なことに気を取られ、人間関係は表面的になり、礼拝や御霊に関する事がらに恐ろしいほど興味がなくなってしまいます。

夏を迎える今、どうか魂を萎縮させないでください。神は夏を、天国の前触れとして造られたのであって、代用品ではありません。

郵便配達の人があなたの婚約者からのラブレターを届けてくれたなら、その郵便配達の人に恋に落ちてはなりません。予告編だけを観て、実際に来るべき現実を愛せなくなってしまっては、意味がないのです。

イエス・キリストは、夏の回復の源です。キリストはすべてにおいて第一となられた方です(コロサイ1:18)。すなわち、夏のバカンス、ピクニック、草野球、長い散歩、バーベキューよりも、第一となる方です。キリストはこの夏、私たちを招いておられます。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)。

あなたはキリストを求めていますか? それが肝心です。キリストは、私たちがどれだけキリストの回復を望んでいるかに比例して、ご自身を与えてくださるのです。「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける」(エレミヤ29:13)。

これについて、ペテロはこのような言葉で語っています。「ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。そうして、主の御前から回復の時が来[ます]」(使徒3:19-20)。悔い改めとは、罪から立ち返ることだけではなく、心を開き、期待と従順をもって主に向かうことなのです。

夏を迎えるにあたって、どのような思いを持つべきでしょうか? コロサイ人への手紙3章1-2節に記されている思いは、こうです。「こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。」

この地は、神の地です! 地は、来るべき永遠の夏の現実、すなわち「都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである」(黙示録21:23)と記されている現実が、どのようなものかを味わう予告編に過ぎません。

夏の太陽は、来るべき太陽、すなわち神の栄光を指し示しているに過ぎません。その栄光を見るため、また示すために、夏があるのです。神の栄光を見る目が欲しいですか? 主よ、どうぞ私たちに、光の先にあるを見せてください。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Light Beyond the Light.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:The Light Beyond the Light.