神がご自分の意志に反することを行われるとき

5月29日 第150日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 05月 29日  - 

しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころだったからである。

(Iサムエル2:25)

祭司エリの息子たちは、父から彼らの罪を戒められても従いませんでした。この箇所から、私たちの生活に適用できる点が三つあります。

1) あまりに長く、ひどく罪を犯し続けたために、主が悔い改めを聞き入れられないことがある

パウロが、よく訴え、よく教えたなら、その末に「神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださる」でしょう、ではなく、「かもしれません」と言ったのは、そのためです(IIテモテ2:25)。罪の生き方には、「手遅れ」が生じ得ます。ヘブル人への手紙12章17節には、エサウについてこう書かれています。「涙を流して求めても、彼には悔い改めの機会が残っていませんでした。」 エサウは見捨てられ、悔い改めることができなかったのです。

これは、生涯罪を犯し続けた人が真の悔い改めをしたときに、救われることはないということではありません。そのような人は当然救われることができますし、救われるでしょう! 神はびっくりするほどにあわれみ深いお方です。十字架にかけられた強盗を思い出してください。イエスはその強盗にこう言われました。「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)。

2) 神はときに、罪を犯している人が正しいことをするのを許されない

「しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころだったからである。」 ここで、父の言うことを聞くことは、正しいことでした。しかし彼らは聞こうとしませんでした。なぜでしょうか? 「彼らを殺すことが主のみこころだったから」です。

彼らが父に従わなかったのは、神が彼らに対する別の計画を持っていたからであり、彼らを罪と死に至るままにさせられたからです。これは、神の定めの意志が、神の命令によって明らかにされた意志とは違っていることがあり得ることを示します。

3) 神の明らかにされた意志が行われるように祈っても、神がご自分のきよく賢い目的のために別の定めを持っておられる場合、その祈りは聞かれないことがある

エリは自分の息子たちが変えられるよう祈ったことでしょう。当然それが彼の祈りであるべきです。しかし、神が定めておられたのは、ホフニとピネハスが従わず、死に至ることでした。

このようなことが起こるとき(私たちはそれをあらかじめ知ることはありませんが)、神に変化を求めて祈り叫ぶ私たちへの神の答えは、決して「わたしはあなたを愛していない」ではありません。むしろ、神の答えはこうです。「わたしには賢くきよい目的があり、それは罪を克服することや悔い改めを受け入れることではない。今はあなたにはわたしの目的は見えないだろう。信じなさい。わたしはわたしの成すわざを知っている。わたしはあなたを愛している。」

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, When God Goes Against His Will.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:When God Goes Against His Will.