6月4日 第156日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 04日 - この記事は約2分で読めます。
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。 (ヘブル人への手紙11:16)
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
神がアブラハム、イサク、ヤコブに言われたように、私も同じように言われたいと心から願います。「わたしはあなたの神と呼ばれることを恥としない」と。
大胆な解釈かもしれませんが、これは、神が実際に私の神と呼ばれることを「誇りに思う」ということでしょうか? 幸いなことに、この素晴らしい可能性は(ヘブル11:16において)、前後の部分に理由が伴っています。
まずは一つ後ろを見てみましょう。「神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」
神が彼らの神と呼ばれることを恥となさらない一つ目の理由は、神が彼らのために何かをされたからです。神は、彼らのために都を用意されました。それは天の都であり、「その都の設計者、また建設者は神です」(ヘブル11:10)。つまり、神が彼らの神と呼ばれることを恥とならさないのは、神がすでに彼らのために働かれたからです。その逆ではありません。
次に、一つ前にある理由を見てみましょう。このようにあります。「彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。」
「ですから」によって、神が私たちの神と呼ばれることを恥となさらない理由がその前に示されたことがわかります。彼らはより良い故郷に憧れていたのです。それは、彼らの住む地上の故郷より良い場所、すなわち、神のおられる天の故郷です。
私たちが、この世が与え得るどんなものよりも、この天の都——この神の住まい——に憧れるとき、神は私たちの神と呼ばれることを恥となさいません。神が私たちに約束してくださるすべてを、私たちが大切にするとき、神は私たちの神であることを誇りに思われます。これこそ、良い知らせです。
ですから、神が私たちのために用意してくださったより良い故郷に目を向け、心を尽くしてその故郷に憧れを抱こうではありませんか。神はあなたの神と呼ばれることを恥となさいません。