からだをもって神の栄光を現す

6月8日 第160日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 08日  - 

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。

(コリント人への手紙第一6:20)

「礼拝(worship)」という言葉には、神の限りない価値を心と知性と身体で意志をもって表現するすべての行動が含まれます。私たちは礼拝のために造られました。教会で歌うこと、キッチンの床を掃くことも、礼拝です。

礼拝と聞いて、賛美集会のようなものだけを思い浮かべてはいけません。それは礼拝を大きく制限することであり、聖書には書かれていません。人生すべてが礼拝であるべきです。

例えば、朝食を取ること、夜食を食べることも、です。コリント人への手紙第一10章31節にはこうあります。「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい、」 食べたり飲んだりすることは、最も基本的なことです。飲食よりも現実的で、ごく人間的なことがあるでしょうか? パウロは、実質的に、あらゆる飲食をも礼拝としなさいと言っています。

セックスはどうでしょうか? パウロは姦淫に代わるものは礼拝だと言っています。

淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、淫らなことを行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(Iコリント6:18-20)

これは、性的欲求をコントロールすることで、自分のからだをもって礼拝するということです。

では最後に、死はどうでしょうか? 私たちはからだにおける死を経験するでしょう。実際、それがこの地上でのからだの最後の行いとなります。からだが別れを告げるのです。では、そのからだの最後の行いにおいて、私たちはどのように礼拝するべきでしょうか? 答えはピリピ人への手紙1章20-21節にあります。パウロは、自分のからだが死ぬことで、キリストがいっそう輝きを放つこと——礼拝を受け、礼拝にふさわしいことが示されること——がパウロ自身の希望だと言っています。そして、こう加えているのです。「私にとって……死ぬことは益です」と。私たちは、死ぬことを益とすることで、死においてキリストの限りない価値を表します。

あなたはからだを持っていますが、それはあなたのものではありません。「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」

あなたはいつでも、宮にいるのです。いつでも、礼拝しましょう。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Glorify God in Your Body.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Glorify God in Your Body.