6月11日 第163日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 11日 - この記事は約2分で読めます。
神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。 (コリント人への手紙第二1:20)
神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。
「神の約束はことごとく、この方[イエス]において『はい』とな[った]」なら、今、神に信頼することは、神の約束が実現すると信じるということです。
神に信頼することと、神の約束を信じることとは、別々の信仰ではありません。イエスを信じること——イエスの救いを信じること——は、イエスがそのみことばを守ってくださると信じることを意味します。十字架にかけられ、よみがえられたイエスに満たされることは、将来のいかなるときも、永遠に至るまで、神の愛から私たちを引き離すものはないこと、また、すべてのことがともに働いて益となることを信じることを含みます。そしてこの「益」とは、私たちの最高の宝であるキリストのうちに、神の美しさと価値を究極的に見て味わうことです。
この、すべてを満たす益が永遠に私たちのために存在するという確信は、過去のすべての栄光に満ちた恵み、とりわけ神がご自分の御子さえも惜しむことなく、私たちのために死に渡された恵みに基づいています(ローマ8:32)。
私たちは、過去に成し遂げてくださったすべてのこと——特に私たちのために死んでよみがえられたキリストのみわざ——と、神の約束すべてにある、神の霊的な美しさを、今、味わう必要があります。この過去の恵みに根ざす私たちの確信と信頼は、次の瞬間、次の月、そして永遠に先の時代までも、神が私たちのために、すべてにおいて神ご自身でいてくださるということを握りしめているのです。
将来、魂を満たしてくださるのは神であり、神ただお一人です。そして、キリストが今この人生において私たちを招いておられるように、大胆なクリスチャン人生を生きるなら、この将来に確信を持たなければなりません。
もし、今キリストを楽しむこと——私たちの今の信仰——に、すべての神の約束における「はい」がないのなら、その信仰は神が(将来のあらゆる瞬間に)備えてくださる力による、大胆な奉仕のためのエネルギーを享受することはないでしょう(Iペテロ4:11)。
私の祈りはこうです。将来の恵みへの信仰の本質について、このように思い巡らすことが、神の約束に対する信仰告白を決して表面的なものや単純化しすぎたものにしないための助けとなりますように。神の約束を信じることは、実に深く、素晴らしいことなのですから。