誰がイエスを殺したか

6月13日 第165日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 13日  - 

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

(ローマ人への手紙8:32)

私の友人の一人でイリノイ州で牧師をしていた人が、数年前、受難週に州刑務所で受刑者たちに説教をしていたときのことです。その説教中、彼はしばらく黙った後、受刑者たちに向かって、イエスを殺したのは誰か、知っていますか、と尋ねたそうです。

聴衆は口々に、兵士たちだ、ユダヤ人だ、ピラトだ、と言いました。そして沈黙のあと、私の友人である牧師は端的にこう言いました。「イエスの御父が、イエスを殺したのです。」

これが、ローマ人への手紙8章32節の前半に書かれてあることです。神はご自分の御子を惜しむことなく、死に渡されました。「神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエス」(使徒2:23)とある通りです。イザヤ書53章では、より単刀直入に書いてあります。「……私たちは思った。/神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。/……彼を砕いて病を負わせることは/のみこころであった」(イザヤ書53:4, 10)。

またローマ人への手紙3章25節にも、こうあります。「神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。」 アブラハムは息子イサクの胸にナイフを振りかざしましたが、薮の中にいた雄羊によってその息子のいのちを死に渡しませんでした。同じように父なる神もまた、ご自分の御子イエスの胸にナイフを振りかざし、さらにはそのいのちを惜しむことなく、死に渡されました。それは、イエスご自身が雄羊であり、身代わりのささげ物であったからです。

神がご自分の御子さえも惜しまれなかったのは、それが私たちを死に渡さず、なおも正しくきよい神であり続ける唯一の方法だったからです。罪の罪責、咎の罰、罪の呪いによって、私たちは地獄の破滅に至るほかありませんでした。しかし神は、ご自分の御子さえも惜しむことなく、私たちの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれ、私たちの罪のために十字架にかけられるために、死に渡されたのです。

このローマ人への手紙8章32節は、私にとって、聖書の中で最も尊い聖句です。なぜなら、神の御子がその身に私のすべての罰と、私のすべての罪と、私のすべての罪責と、私のすべてのとがめと、私のすべての失敗と、私のすべての腐敗を背負ってくださったことが、あらゆる神の将来の恵みの約束の土台であるからです。それによって私は、赦され、和解を受け、義とされ、受け入れられた者として、偉大なるきよい神の御前に立ち、その右の御手において、永遠に、言葉にならないほどの喜びの約束の受益者となるのです。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Who Killed Jesus?.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Who Killed Jesus?.