6月22日 第174日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 22日 - この記事は約2分で読めます。
すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。 (ヘブル人への手紙12:14)
すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。
実践的な聖さというものがあり、それなしに主を見ることはできません。多くの人は、それが事実ではないかのように生きています。
そのような聖くない生き方をする自称クリスチャンが実際にいますが、彼らはイエスの恐ろしいことばを聞くことになります。「わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け」(マタイ7:23)。パウロは、クリスチャンだと公言する者に対してこう言います。「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります」(ローマ8:13)。
ですから、それなしには誰も主を見ることができない聖さがあるのです。そして、将来の恵みを信じる信仰によって聖さを求めて戦うことは、極めて重要です。
聖さを追い求めながら、しっぺ返しを受けて死に至ることもあります。パウロは、神がすべてを可能にしてくださる恵みを信じる信仰以外の方法で、神に仕えることについて警告しています。神は「何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから」(使徒17:25)。神に仕えようとするいかなる努力も、その行動自体が、私たちの心の報いとして、また私たちの奉仕の力として、神に頼らないものはすべて、神を困窮した違法の神々であるかのように扱うことになり、神を汚します。
ペテロは、そのような自力本願的な神への奉仕に取って変わるべき方法をこう説明しています。「奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです」(Iペテロ4:11)。そしてパウロも、こう言っています。「私は、……キリストが私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かをあえて話そうとは思いません」(ローマ15:18; Iコリント15:10も参照)。
少しずつ、神が私たちに任命された「すべての良いわざ」を行うことができるように、恵みが訪れます。「神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです」(IIコリント9:8)。
良いわざのための戦いは、将来の恵みの約束を信じるための戦いです。