6月23日 第175日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 23日 - この記事は約2分で読めます。
不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、 (ローマ人への手紙4:20)
不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、
あぁ、私たちがきよさと愛を追い求め、それが神に栄光を帰すことを、私はどれほど望んでいることでしょうか。しかし、神の約束を信じる信仰によって追い求めるのでなければ、神に栄光を帰すことはないのです。
私たちの罪のために十字架にかけられ、私たちが義と認められるためによみがえられたイエス・キリストにあって(ローマ4:25)最も完全にご自身を現された神は、私たちが神の約束を確かな喜びをもって大切に抱くときに、最も栄光を受けられます。なぜなら、その約束は神の御子の血によって実現したからです。
私たちが自分の弱さや失敗にへりくだり、将来の恵みに信頼するとき、神は崇められます。パウロがアブラハムの信仰について説明する、ローマ人への手紙4章20節のポイントは、そこにあるのです。「不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し[ました。]」
アブラハムは信仰が強められ、それによって、神に栄光を帰しました。神の約束を信じる信仰は、神が他の何者よりも賢く、強く、善いお方であり、信頼するに足るお方であられることを認め讃えます。ですから、神の将来の恵みの約束を信じる信仰によって生きる方法を学ばない限り、私たちは目を見張るほどの厳格な宗教的行いができたとしても、神の栄光のためにそれを行うことはできません。
将来の恵みを信じるへりくだった信仰によって、きよくなる力が与えられるとき、神は讃えられます。
マルティン・ルターは言いました。「信仰は、信頼する者を真実であり信頼に足る者とみなし、最高の崇敬の念と、最高の敬意をもって敬う。」 信頼された与え主が、栄光を受けるのです。
私の大きな願いは、私たちがどうすれば神の栄光のために生きることができるかを学ぶことです。そしてそれは、将来の恵みを信じる信仰によって生きる生き方であり、つまりは、不信仰が頭をもたげるあらゆる生き方と戦うことを意味します。