6月26日 第178日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 26日 - この記事は約2分で読めます。
「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」 (出エジプト記20:20)
「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」
恐れには、私たちを縛り付け神から遠ざけようとする恐れと、私たちを神に近づける甘美な恐れとがあります。モーセはこの出エジプト記20章20節の一節の中で、一方の恐れに対して人々に警告し、もう一方の恐れへと彼らを招きました。「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたを試みるためです。これは、あなたがたが罪に陥らないよう、神への恐れがあなたがたに生じるためです。」
私が見てきた中で、この良い類の恐れを最も明確に表したのは、私の息子がシェパード犬を目の当たりにしたときでした。私たちは教会から、ある家族を訪問していました。息子のカーステンは七歳くらいでした。その家族の飼っていた大型犬が、ちょうど七歳の息子の目線ほどの大きさだったのです。
シェパード犬は人懐こく、カーステンはあっという間に仲良くなりました。しかし、私たちが車にある忘れ物を取りに行ってほしいと頼んだことで、カーステンが咄嗟に走り出すと、犬も低く唸り声を上げながら走って追いかけたのです。これには、カーステンも怖がってしまいました。しかし飼い主はそれを見て、こう言ったのです。「カーステン、歩いたらいいんだよ。犬は、人が急に逃げてしまうのが嫌いなんだ。」
カーステンが犬を抱きしめると、犬は人懐こくて、カーステンの顔を舐めるほどでした。しかし、カーステンが犬から走って逃げると、犬は唸り声を上げてカーステンに恐れを抱かせたのです。
これこそ、主を恐れるということの意味を描いています。神は、その力ときよさによって私たちに恐れを抱かせます。それは、私たちを神から離すためではなく、神に近づけるためです。神を恐れるということは、第一に、私たちの大いなる安心と満足である神を捨てることを恐れる、ということです。
別の言い方をするならば、私たちは不信仰を恐れるべきです。神の善良に信頼することを恐れてはいけません。ローマ人への手紙11章20節にもそう書いてあるではありませんか。「あなたは信仰によって立っています。思いあがることなく、むしろ恐れなさい。」 つまり、私たちが恐れるべきは、信じないことであり、信仰を持たないことです。神から逃げてしまうことを恐れましょう。しかし、私たちが神とともに歩き、神の首元に抱きつくなら、神は私たちの友となり永遠に私たちを守ってくださいます。