来るべき怒りにおける天の安息

6月30日 第182日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 06月 30日  - 

神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。

(テサロニケ人への手紙第二1:6-8)

いつの日か、神の忍耐の終わりが訪れます。神が決められた期間、ご自分の民の苦しみを見届けられ、殉教者の決められた数が満ちるとき(黙示録6:11)、公正で聖なる報復が天からくだります。

神の民を苦しめた者に降りかかる神の報復は、私たちにとっての「安息」となることに注目してください。「神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。」 つまり、私たちを「苦しめる者」へのさばきは、私たちに対する恵みの一形態なのです。

恵みとしてのさばきが最も顕著に描かれているのは、おそらく、ヨハネの黙示録18章のバビロンの滅亡でしょう。バビロンの滅亡のとき、天から大いなる声が響きます。「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから」(黙示録18:20)。そして、大群衆の大きな声がこう言うのが聞こえます。「ハレルヤ。/救いと栄光と力は私たちの神のもの。/神のさばきは真実で正しいからである。/神は、淫行で地を腐敗させた大淫婦をさばき、/ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされた」(黙示録19:1-2)。

神の忍耐が長い苦しみを耐え抜き、この時代が終わり、神の民の敵にさばきがくだるとき、聖徒たちはもはや神の正しさを否定することはありません。

それは、悔い改めない者の最後の滅びは、神の民にとって悲しみの経験とはならないことを意味します。

他の人が悔い改めようとしないからといって、それが聖徒たちの愛情を拘束することはありません。地獄が天の御国を悲しみに陥れようと脅迫することはできないのです。神のさばきは承認され、聖徒たちは真理による名誉の回復を、大いなる恵みとして体験するでしょう。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Heaven’s Relief in the Coming Wrath.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Heaven’s Relief in the Coming Wrath.