7月1日 第183日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 01日 - この記事は約2分で読めます。
「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」 (ルカの福音書12:32)
「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」
イエスは、私たちが戦わずして不信仰になるのをただ眺めておられることはありません。みことばの武具をとって、信じることができずにもがいているすべての人に力強く語られます。
神は、私たちの恐れを打ち消そうとしておられます。その恐れとは、神は本当に私たちに良いものを望んでおられるような神ではない、つまり本当は寛大でも頼りになるのでもなく、親切でも優しいのでもなく、ただ基本的に私たちに腹を立てているだけの神だ、敵意と怒りに満ちた神だと信じる恐れです。
ときどき、頭では神が善いお方だと信じていても、心の中では、神の善意はなにか強制的で無理矢理なものではないか、と感じることがあるかもしれません。それはまるで、弁護士の巧妙な話術で、法的審理の細かい解釈に迫られた裁判官が、本当は刑務所に送りたい囚人の告訴を棄却せざるを得なくなるようなものです。
しかしイエスは、私たちが神に対してそのように感じないように心を注いでおられます。ルカの福音書12章32節で、イエスは私たちに御国を与えることへのとどまることのない喜びを示すことで、神の魂の言葉にできないほどの価値と素晴らしさを表そうと努めておられます。
「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」 この息を呑むほどに素晴らしい聖句の一語一語が、私たちがまさに苦悶しているとイエスが知っていてくださる、その恐れを取り去るために語られています。それは、神がご自分の益を与えるのを惜しまれるのではないかという恐れ、神が親切にされるのは無理矢理であったり、神の人格とはかけ離れているのではないかという恐れ、結局根底では神は怒っておられ、その怒りを好んで発散されるのではないかという恐れです。
ルカの福音書12章32節は、神の本性を表す聖句です。この一文に、神の心がどのようなものであるかが記されています。この一節は神に喜びをもたらすものが何であるかを教えてくれます。それは、単に神が行う予定にしていること、またしなければならないことではなく、神が進んでなさることであり、好んでなさることであり、それをなさることに、神は喜びを見出されるのです。ここに記される一語一語が、なんと尊いことでしょうか。「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」