良い知らせ:神は幸福です

7月3日 第185日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 03日  - 

祝福に満ちた神の、栄光の福音……

(テモテへの手紙第一1:11)

これは、あまりに聞き慣れてしまった聖書用語の中に埋もれがちな、テモテへの手紙第一にある美しい表現です。しかしこれを掘り起こしてみると、「幸福に満ちた神の、栄光の福音」のように聞こえます。ここでの「祝福に満ちた」とは、「称賛される」の意味より、「幸福な」という意味です。

神の栄光の大きな部分を占めるのは、神の幸福なのです。

使徒パウロにとって、神が無限の喜びを否定されながら、なおも全き栄光に満ちていることは想像を絶することでした。無限の栄光とは、無限の幸福だったのです。パウロが「幸福に満ちた神の……」という表現を使ったのは、神が神として幸福であられることは栄光に満ちたことであるからです。

神の栄光は、私たちの精一杯の想像をも超えるほど、幸福であるという事実にあります。18世紀の偉大な説教者、ジョナサン・エドワーズはこう言いました。「神が私たちに伝えておられるご自身の完全性の一部は、神の幸福である。この幸福は、ご自分を楽しみ、喜ぶことにある。被造物の幸福もまた、同じである。」

そして、パウロが「幸福に満ちた神の、栄光の福音」と言っているように、それが福音の重要な部分なのです。神が栄光に満ちて幸福であられることは、良い知らせではありませんか。不機嫌で不幸せな神と永遠を過ごしたい人など、どこにもいないでしょう。

もし神が不幸せなら、神と永遠にともにいるという福音のゴールは、決して幸せなゴールではなくなります。そうなると、もはや福音でも何でもありません。しかし実際は、「主人の喜びをともに喜んでくれ」と言ってくださるイエスは、幸福な神と過ごす永遠に私たちを招いておられるのです(マタイ25:23)。

ヨハネの福音書15章11節で、イエスはこう言われました。「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。」 イエスが語り、生き、死なれたのは、イエスの喜び、すなわち神の喜びが、私たちのうちにあり、私たちが喜びで満ちあふれるためでした。ですから、福音は、「幸福に満ちた神の、栄光の福音」なのです。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Good News: God Is Happy.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Good News: God Is Happy.