7月4日 第186日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 04日 - この記事は約2分で読めます。
「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」 (ヨハネの福音書17:26)
「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」
最も楽しめることを、制限されずに、永遠に増し続けるエネルギーと情熱で楽しむことができると想像してみてください。
これは、今私たちが経験できることではありません。この世で完全に満たされるためには、三つのことが妨げとなっています。
しかし、もしヨハネの福音書17章26節でイエスが語っておられることが実現するなら、これらはすべて変わります。イエスは私たちのために、御父に祈られました。「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」 御子を愛する神の愛は、罪人に対する愛とは違います。神が御子を愛されるのは、御子がその愛に無限にふさわしい方であられるからです。神が御子を愛されるのは、御子が無限に愛おしいからです。つまりその愛は、完全なる喜びです。イエスは、神が御子に対して抱いておられるこの喜びが、私たちが御子に対して抱く喜びとなるように祈られました。
もし、神が御子に対して抱いておられる喜びが私たちの喜びとなるなら、私たちの喜びの対象であるイエスは、尽きることのない個人的価値を持つことになります。もはや、イエスが退屈に思えたり、落胆や苛立ちをもたらすことは絶対にあり得ません。神の御子より偉大な宝はないからです。
しかし、このようにイエスが祈られること——すなわち、私たちが尽きることのない宝を味わうことができるエネルギーと情熱——に、さらに加えて祈られるのは、それが人間の弱さによって制限されることがないように、という祈りです。私たちは神の御子を、全能の御父と同じように楽しむことができるようになるのです。
神が御子を楽しまれる喜びは、私たちのうちに与えられ、私たちのものとなります。この喜びは決して終わることがありません。なぜなら、御父も御子も、終わりがないからです。御父と御子の互いを愛する愛が、私たちが御父と御子を愛する愛となり、ゆえにその愛は、決して死ぬことがありません。