7月9日 第191日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 09日 - この記事は約2分で読めます。
そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。 (マタイの福音書26:37)
そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
聖書が垣間見せる、十字架につけられる前夜のイエスの魂の描写に、私たちは驚きを隠せません。イエスが落胆や絶望に対して戦略的な戦いを挑まれた姿から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
あなたの将来を脅かすようなことが人生に降りかかったとき、このことを思い出してください。イエスがゲッセマネの園で感じておられたような、心に受けるであろう爆弾の最初の衝撃波は、罪ではありません。本当の危険は、その衝撃に屈することです。降参し、霊の戦いを戦わないことです。そのような罪深い降参の根底にあるのは不信仰であり、将来の恵みを信じる信仰のための戦いを怠っています。神がイエスにあって私たちのために約束してくださるすべてを、喜び楽しむ機会を逃しているのです。
ゲッセマネの園で、イエスは別の戦いかたを示されました。痛みはありますが、受け身でもありません。このイエスの戦いかたに倣いましょう。信頼できる信仰の友を見つけてください。彼らに、あなたの魂を打ち明けてください。ともに目を覚まし、祈ってくれるよう頼んでください。父なる神にあなたの魂を注ぎ出してください。神の主権的知恵に委ねてください。そして、あなたの前に置かれた、尊い壮大な神の約束である喜びから、目を離さないでください。