イエスが絶望と戦われた6つの方法

7月9日 第191日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 09日  - 

そして、ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。

(マタイの福音書26:37)

聖書が垣間見せる、十字架につけられる前夜のイエスの魂の描写に、私たちは驚きを隠せません。イエスが落胆や絶望に対して戦略的な戦いを挑まれた姿から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

  1. イエスは近い友人たちとともに過ごすことを選ばれました。「ペテロとゼベダイの子二人を一緒に連れて行かれた」(マタイ26:37)
  2. イエスは彼らにご自分の魂を打ち明けられました。イエスはこう言われます。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」(マタイ26:38)。
  3. イエスは、戦いにおいて彼らがとりなし、ともに戦ってくれるよう願われました。「ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい」(マタイ26:38)。
  4. イエスは御父への祈りの中で、心のうちを注ぎ出されました。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ26:39)。
  5. イエスは神の主権的知恵に、ご自分の魂を委ねられました。「しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(マタイ26:39)。
  6. イエスは、十字架の先にある、栄光に輝く将来の恵みから目を離されませんでした。「この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです」(ヘブル12:2)。

あなたの将来を脅かすようなことが人生に降りかかったとき、このことを思い出してください。イエスがゲッセマネの園で感じておられたような、心に受けるであろう爆弾の最初の衝撃波は、罪ではありません。本当の危険は、その衝撃に屈することです。降参し、霊の戦いを戦わないことです。そのような罪深い降参の根底にあるのは不信仰であり、将来の恵みを信じる信仰のための戦いを怠っています。神がイエスにあって私たちのために約束してくださるすべてを、喜び楽しむ機会を逃しているのです。

ゲッセマネの園で、イエスは別の戦いかたを示されました。痛みはありますが、受け身でもありません。このイエスの戦いかたに倣いましょう。信頼できる信仰の友を見つけてください。彼らに、あなたの魂を打ち明けてください。ともに目を覚まし、祈ってくれるよう頼んでください。父なる神にあなたの魂を注ぎ出してください。神の主権的知恵に委ねてください。そして、あなたの前に置かれた、尊い壮大な神の約束である喜びから、目を離さないでください。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Six Ways Jesus Fought Depression.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Six Ways Jesus Fought Depression.