7月13日 第195日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 13日 - この記事は約2分で読めます。
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。 (ガラテヤ人への手紙6:8)
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
信仰は、神の恵みをできるだけ多く体験したいと願う、飽くなき欲求を持っています。そのため、信仰は神の恵みが最も自由に流れる川、すなわち愛の川に向かって突き進んでいきます。
他に、どのような力が働いて、私たちを居心地の良い部屋から押し出し、愛の求める不都合と苦難の行いへと促すでしょうか。
次のことに、私たちを駆り立てるものは何でしょうか?
これらはすべて犠牲の伴う愛の行いであり、自然と起こるものではありません。いずれも、神の恵みをもっと体験したいという信仰の新しい欲求によって駆り立てられた行動です。私たちは、神をもっと感じたいと願います。そして私たちは、誰にも邪魔されない安全で快適な一人の時間以上に、これを望んでいるのです。
信仰は、神に頼ることを喜びとし、神が私たちのうちに奇跡を行われるのを見ることを好みます。したがって、信仰は神の将来の恵みが最も自由に流れ出る川の流れ、愛の川の流れへと、私たちを導きます。
おそらく、パウロが「御霊に蒔く」ようにと私たちに語ったのは、この意味でしょう(ガラテヤ6:8)。信仰によって、私たちの活力の種を蒔くとき、その種は実を結ぶために御霊が働いておられるとわかっている畝(うね)、すなわち愛の畝に蒔かれるべきです。