7月15日 第197日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 15日 - この記事は約2分で読めます。
神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。 (コリント人への手紙第一15:10)
神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
パウロは、「私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました」というこの一節の前半が誤解されるかもしれないと思ったのでしょうか。その後に、このように述べています。「働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。」
パウロは自分自身の従順をたどると、その先にあるのは過去の恵みへの感謝ではなく、その時々に、常に注がれる恵みであるとしました。パウロは、神の将来の恵みが必要なときに必ず与えられるという約束に信頼しているのです。キリストに従おうとするパウロの意志と努力の一つ一つの瞬間に、その意志と努力を生み出す恵みが働いていました。ただ過去の恵みへの感謝があったからではなく、その都度与えられる恵みの約束をその時々に信じたからこそ、パウロの働きが引き出されたのです。この、常に注がれる神の恵みこそが、パウロの働きの決定的な原動力だと、彼は強調しています。
さて、本当にそう語っているでしょうか? ここではただ、神がパウロとともに働かれた、と言っているだけではないですか? いいえ、それだけではありません。「働いたのは私ではなく」、という言葉に注目しなければなりません。パウロは、その時々に与えられる神の恵みを讃えていますが、それは彼自身が、その働きの決定的な実行役ではないことが明らかであるからこそです。
しかしいずれにせよ、実際に働いたのはパウロです。「私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました」とある通りです。パウロは働きました。しかし、それは「私に対する」神の恵みであったと、パウロは言っています。
もし、この一節のすべての部分をそのまま読むなら、結果的には、恵みこそがパウロの働きの決定的な実行役であるということになるでしょう。パウロもまた働きの実行役ですが、恵みはパウロの働きを可能にする力となることによって、やはり恵みが決定的な実行役になっています。
私はこれは、パウロが、日々の宣教の重荷に直面する中で、頭を垂れて、その日の働きのために将来の恵みが与えられない限りはその働きを行うことなど到底できません、と告白する姿だと解釈します。
パウロは、イエスのこう言われたのを思い起こしていたかもしれません。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです」(ヨハネ15:5)。だからこそ、彼はその日に将来の恵みが与えられることを祈り、その恵みが力とともに来るという約束を信じていました。「私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19)。
それから、パウロは力を尽くして働いたのです。