神のタイミングは完璧

7月19日 第201日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 19日  - 

ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった(well-timed)助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

(ヘブル人への手紙4:16; [括弧内は著者による訳])

この尊い聖句は、(英語では)たいていこのように訳されていることは承知しています。「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、[困難なとき(in time of need)]助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」[著者の意図を示すために一部を変更している] しかしこれは、私たちが神を必要とするときに神が現れてくださることを示す言い換えです。しかし字義的には、いかに神がタイミング良く(well-timed)助けてくださるかに注目しているのです。

宣教は常に、将来にあります。今から一瞬先、またはひと月先、一年先、10年先を見据えます。自分の至らなさについて思い悩む時間は、十分にあります。そのようなとき、私たちは祈りに立ち返らなければなりません。

祈りとは、私たちが明日の宣教のためにふさわしい者とされるよう、今日の私たちを恵みと結びつける信仰のかたちです。このタイミングは非常に大切です。

もし恵みが与えられるのが、早すぎたり遅すぎたりするとどうなるでしょうか? ヘブル人への手紙4章16節の伝統的な訳では、この実に尊い約束のタイミングという点について明確ではありません。もっと字義通りの翻訳で、このポイントを理解する必要があります。この約束は、私たちが「困難なとき助けを受ける」だけでなく、その恵みが神によって折にかなったものであるという約束です。

重要なのは、祈りは、折にかなった助けを受けるための将来の恵みを見つける手段だということです。この神の恵みはいつも「恵みの御座」から、折にかなって注がれます。「恵みの御座」という表現は、将来の恵みが、ご自分の権威をもってその時を定められる宇宙の王から来ることを示しています(使徒1:7)。

神のタイミングは完璧であり、私たちのタイミングとは異なります。「まことに あなたの目には/千年も 昨日のように過ぎ去り」(詩篇90:4)。世界規模において、神は国々の繁栄と崩壊のときを定められます(使徒17:26)。そして個々においては、「わたしの時は御手の中にあ[る]」と言われます(詩篇31:15)。

将来の恵みのタイミングについて思い巡らすとき、私たちは「恵みの御座」を思わなければなりません。私たちにとって最善のときに、恵みを送る神のご計画を妨げるものは何もありません。将来の恵みは、いつも折にかなって与えられます。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, His Timing Is Perfect.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:His Timing Is Perfect.