私たちが落胆しない理由

7月28日 第210日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 28日  - 

ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。

(コリント人への手紙第二4:16-18)

パウロの目は以前のようには見えず(この時代にメガネはありません)、以前のようには聞こえず(補聴器もありません)、迫害からの傷の回復も遅くなっていました(抗菌薬もありません)。パウロの体力も、街から街へ歩いて移動する中で、以前のように持ち堪えることができません。顔のしわも、首のしわも増えました。記憶力も落ちています。そしてパウロは、このような現実が、彼の信仰と喜びと勇気を脅かすものであることを認めています。

しかし、パウロは落胆しません。なぜでしょうか?

パウロが落胆しないのは、パウロの内なる人は新たにされているからです。どういうことでしょうか?

心の刷新は、非常に不思議なことによってもたらされます。それは、見えないものに目を留めることです。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。(コリント人への手紙第二4:18)

これが、パウロが落胆しない方法です。目に見えないものに目を留めることです。では、パウロが目を向ける先には、何が見えていたのでしょうか?

数節あとの、コリント人への手紙第二5章7節で、パウロはこのように言っています。「私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。」 これは決して、そこに何があるかもわからないまま暗闇に飛び込むという意味ではありません。パウロの言葉の意味するところは、現時点で、この世で最も尊く大切な現実は、私たちの物理的な感覚を超えたところにあるということなのです。

私たちは、この見えないものを、福音を通して「見て」います。キリストと直接出会った人々の証言から浮き上がってくる、目に見えない客観的真実に目を留めることで、私たちの心は強められ、勇気が新たにされます。

「『闇の中から光が輝き出よ』と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです」(IIコリント4:6)。「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」を、私たちは見て、その輝きが福音を通して私たちの心を照らすのです。

これが起こったときに、私たちはクリスチャンになりました。それは、この輝きを理解したかどうかではありません。パウロとともに、私たちも心の目でこの輝きを見つめ続けましょう。そうすれば、私たちは決して落胆しません。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Why We Don’t Lose Heart.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Why We Don’t Lose Heart.