7月30日 第212日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 07月 30日 - この記事は約2分で読めます。
様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。 (ヤコブの手紙1:2-3)
様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。
不思議に感じると思いますが、苦難によって信仰が揺るがされる主な目的の一つは、信仰がより揺るぎないものとなることです。
信仰は、筋肉組織のようなものだと言えるでしょう。限界まで負荷をかければ、弱くなるのではなく、さらに強くなります。ヤコブはそのことをここで言っています。信仰が脅かされ、試され、限界点まで追い詰められるとき、結果として、耐え忍ぶ力が増し加わります。
神は信仰を愛しておられます。その愛ゆえに、神は限界点まで信仰を試し、純粋で強い信仰に保ってくださいます。例えば、コリント人への手紙第二1章8-9節を見ると、神がパウロの信仰をこのように試されたことがわかります。
兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。
「それは……ためだったのです」という言葉は、その究極の苦難には目的があったことを示しています。その試練は(その目的は)、パウロが自分自身や手段に頼らず、神に頼る者となるため——特に死者をもよみがえらせてくださる神の恵みの約束に頼る者となるためでした。
神は、私たちの心からの信仰を尊ばれます。それゆえ、神は恵みをもって、必要に応じて、私たちが頼ってしまいかねないこの世のあらゆるもの——ときには命さえも——を、取り去られます。それは、私たちに必要なのは唯一神ご自身のみであるという確信が、ますます深まり、強くなるためです。
神は、私たちがこの詩篇の作者とともに、こう告白できることを願っておられます。「あなたのほかに/天では 私にだれがいるでしょう。/地では 私はだれをも望みません。/この身も心も尽き果てるでしょう。/しかし 神は私の心の岩/とこしえに 私が受ける割り当ての地」(詩篇73:25-26)。