8月1日 第214日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 01日 - この記事は約2分で読めます。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」 (コリント人への手紙第二12:9)
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」
神は、苦難がキリストの価値と力とを拡大させるよう設計されました。これは、恵みです。なぜなら、クリスチャンにとっての最大の喜びは、私たちの人生においてキリストがますます拡大されるのを体験することだからです。
パウロの「肉体に一つのとげ」があり、それが取り去られることはないと主イエスが言われたとき、主はこのように説明してパウロの信仰を支えられました。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(IIコリント12:9)。神はパウロが弱くあるよう任命されました。それは、キリストがパウロの代わりに強く現れるためです。
もし私たちが自分の力で十分だと感じたり、そう人から見られたりするなら、栄光を受けるのはキリストではなく私たちになります。ですから、「肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないように」(Iコリント1:29)、キリストはこの世の弱いものを選ばれました。キリストはときに、一見強く見える人をあえて弱くさせることもあります。そうすることで、神の力がより明らかになるからです。
私たちは、パウロがこれを恵みとして体験し、それを喜んだことを知っています。「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ多いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(IIコリント12:9-10)。
神の恵みのうちに信仰によって生きることは、神がイエスにあって私たちのために表されるすべてのことに満足することを意味します。したがって、信仰は、神がイエスにあって私たちのために表されるすべてを明らかにし、拡大させるものから、身を縮めることはありません。これこそ、私たちの弱さや苦難が成すべきわざなのです。