8月9日 第222日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 09日 - この記事は約2分で読めます。
ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。 (ローマ人への手紙5:9-11)
ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。
私たちは何から救われる必要があるのでしょうか? それは、神の怒りであると、9節にはっきりと書かれています。「ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。」 しかしこれが、福音が与える、最も崇高かつ最良の、何よりも完全で満足させる宝(prize)でしょうか?
違います。10節にはこうあります。「御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。」 さらに11節は、福音の最終的な目的とその最終地点について語っています。「それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。」
これこそが、良い知らせが最終的にもたらす最高の良いものです。この後には、「それだけではなく……」と続くことはありません。後に続くのは、どのようにしてそこに至るのかを語るパウロの言葉のみです。「キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。」
「私たちは神を喜んでいます」——これこそが福音の目的です。福音のもたらす、最も崇高で、完全で、深い、何よりも優しく良いものは、神ご自身であり、贖われた主の民が神を楽しむことです。
神はキリストにあって代価(price)となられ(ローマ5:6-8)、神はキリストにあって宝(prize)となられました(ローマ5:11)。
福音とは、神が私たちに与えられた良い知らせです。それは、私たちが神を永遠に楽しむことができるという知らせなのです。