8月18日 第231日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 18日 - この記事は約2分で読めます。
「いのちを愛し、/幸せな日々を見ようと願う者は、/……/悪を離れて善を行い、/……」 (ペテロの手紙第一3:10-11)
「いのちを愛し、/幸せな日々を見ようと願う者は、/……/悪を離れて善を行い、/……」
私たちがイエスの命令に従わない基本的な理由は、一つしかありません。それは、従わないより、従うほうが大きな祝福がもたらされるということを、心の底から確信していないからです。私たちは神の約束に対して完全に希望を抱いてはいないのです。
神は何を約束されましたか? ペテロはイエスの教えをこのように伝えました。
悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。「いのちを愛し、/幸せな日々を見ようと願う者は、/……/悪を離れて善を行い、/……」(Iペテロ3:9-11)
イエスに従うペテロは、悪に対して悪を返さないというような、難しい命令への従順を恥じることなく励ましています。この命令には、大いなる喜びが約束されています。「あなたがたをののしる者を祝福しなさい……そうすればあなたがたは祝福を得るでしょう!」 あなたも永遠のいのちを楽しみたいですか? それなら、悪から離れることです! 永遠につづく喜びが待っていますから! これほどの報いがあるなら、今すぐ復讐することで得られる快感を避けることなど、ちっぽけなことではないでしょうか?
イエスに従わないより、従うほうが必ず常に良い結果が生まれます。その従順が、あなたのいのちを犠牲にすることであっても、です。
まことに、あなたがたに言います。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は、今この世で、迫害とともに、……百倍を受け、来るべき世で永遠のいのちを受けます。(マルコ10:29-30)
キリストに従い、大きな犠牲を伴う愛の道を歩む力は、希望に満たされることによってのみ与えられます。その希望は、キリストのみこころを行うことでいのちを失ったとしても、再びいのちを見出し、永遠に続く豊かな報いが与えられるという強い確信によるものです。