8月25日 第238日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 25日 - この記事は約2分で読めます。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり……。 (エペソ人への手紙5:25-26)
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり……。
神に無条件の愛だけを求めるなら、その願いは素晴らしいですが、小さすぎるとも言えます。
神からの無条件の愛は、神の愛を経験するうえで最も甘美な部分ではありません。最も甘美な経験とは、神の愛が、あなたにこう言うときです。「わたしはあなたを、わたしの子と同じ姿に造った。だから私はあなたを見て喜び、あなたとともにいて喜ぶ。あなたは私の栄光で輝いているので、あなたはわたしの喜びである。」
この甘美な経験は、私たちが、自分の感情や選択や行動によって、神を喜ばせるような者に変えられること(変容)が条件となります。
無条件の愛は、人の変容の源であり土台であり、条件付きの愛の甘美さを可能にするものです。もし神が私たちを無条件に愛してくださらなかったら、そもそも私たちの魅力のない人生に入り込み、私たちを信仰に導き、キリストと結びつけ、ご自分の御霊を与え、私たちをますますイエスに似た者となるように変えてくださることはなかったでしょう。
しかし、神が私たちを無条件に選び出し、私たちのために死ぬためにキリストを遣わし、私たちを新生させるとき、神は私たちを栄光に満ちた者とするために、止まることのない変容のプロセスを私たちのうちに始めてくださいます。神は私たちに栄光を与えられます。それは、神のお気に入りの姿、すなわちご自身の姿と、私たちを一致させるためです。
エペソ人への手紙5章25-27節に、これを見ることができます。「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように(無条件の愛)、あなたがたも妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、……栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです」——これが、神が喜ばれる条件です。
私たちがまだ信仰を持たない罪人であったときに、神が私たちに好意を寄せてくださったことは、言葉にできないほど素晴らしいことです。そして、このことが素晴らしい究極的な理由は、この無条件の愛が、栄光に輝く神のご臨在の永遠の享受へと、私たちを導いてくれるからです。しかし、この恵みの享受の頂点は、私たちが神の栄光を見るだけでなく、その栄光を反映するものとなることです。「私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです」(IIテサロニケ1:12)。