8月26日 第239日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 26日 - この記事は約2分で読めます。
主の栄光がとこしえにありますよううに。/主がご自分のみわざを喜ばれますように。/主が地に目を注がれると 地は震え/山々に触れられると それは煙を上げます。/私はいのちの限り 主に歌い/生きるかぎり 私の神をほめ歌います。/私の心の思いが みこころにかないますように/私は 主を喜びます。 (詩篇104:31-34)
主の栄光がとこしえにありますよううに。/主がご自分のみわざを喜ばれますように。/主が地に目を注がれると 地は震え/山々に触れられると それは煙を上げます。/私はいのちの限り 主に歌い/生きるかぎり 私の神をほめ歌います。/私の心の思いが みこころにかないますように/私は 主を喜びます。
神は創造のみわざを喜ばれます。それは被造物が、自らを超越した存在、すなわち神ご自身を指し示すからです。
神は、その創造のみわざに、私たちがただ驚き、神への畏れを抱くことを望んでおられます。しかし、それ自体が目的なのではありません。神は私たちが被造物を見て、こう口にすることを望んでおられるのです。「神の指のわざだけでも(そうです、指だけです! 詩篇8:3)、これほどに知恵と力と壮大さと威厳と美しさに満ちているなら、この神ご自身は一体どれほどのお方なのだろうか!」
これらは、いわばガラス越しに暗く見えている神の栄光の裏側に過ぎません。創造主ご自身の栄光を目の当たりにするなら、それはどんな体験でしょうか! 創造のみわざだけではないのです! 幾千億の銀河の存在も、人間の魂を満足させることはありません。ただ神のみが、魂の目的なのです。
これについて、ジョナサン・エドワーズはこのように表現しました。
神を楽しむことは、私たちの魂が満たされる唯一の幸福である。天国に行き、神を余すところなく楽しむことは、この地での最も快適な宿よりも無限に優れている……[これら]は影に過ぎない。しかし、神は本質である。これらは散乱した光に過ぎない。しかし、神は太陽である。これらは小川に過ぎない。しかし、神は大海である。
だからこそ、詩篇104篇はその締めくくり(31-34節)に、神ご自身に目を向けています。「生きるかぎり 私の神をほめ歌います。/……私は 主を喜びます。」 最終的に私たちの心を驚きで満たし、私たちの口を永遠の賛美で満たすのは、海でも山でも峡谷でもなく、水グモでも雲でもなく、大いなる銀河でもありません。神、ご自身です。