イエスによって赦された

8月28日 第241日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 08月 28日  - 

よ あなたの御名のゆえに/私の咎をお赦しください。それは大きいのです。

(詩篇25:11)

何が正しいかを知っておられる神は、ご自分より上位の権威に相談することはなさいません。神ご自身の価値こそが、宇宙における究極の価値なのです。したがって、神が正しい行いをすることは、この究極の価値に調和した行為です。

神の義とは、最高に価値のあるもの、すなわち神ご自身の完全性と価値のうちにある、神の限りない熱心と喜びと楽しみです。そして、もし神が一度でも、ご自分の完全性に対するこの永遠の熱意に反して行動されるなら、神は不義であり、偶像礼拝者となるでしょう。

それほどの義なる神が、その完全性を軽んじた私たちのような罪人に対して、どうして愛情を注いでくださるのでしょうか? しかし福音の奥義とは、その神の義のうちにこそ私たちの救いの土台があるということなのです。

悪しき罪人である私でさえも御子のうちに愛され、受け入れられることができるのは、御父が御子を限りなく重んじておられるゆえです。なぜなら、御子はその死において、御父の価値と栄光を証明されたからです。

キリストゆえに、私たちはこの詩篇の作者の祈りを新しい理解で祈ることができます。「よ あなたの御名のゆえに/私の咎をお赦しください。それは大きいのです」(詩篇25:11)。新しい理解とは、私たちはキリストゆえに、「あなたの御名によって、私の咎をお赦しください」と祈るだけでなく、今は「イエスの御名によって、神よ、私の咎をお赦しください」と祈ることができるということです。

ヨハネの手紙第一2章12節に、イエスについてこう書いてあります。「子どもたち。私があなたがたに書いているのは、イエスの名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。」 イエスは罪の宥めとなり、御父の尊厳を証明されたので、「イエスの名によって[私たちの]罪が赦され」ました。

神は義なるお方です。決して、罪を絨毯の下に隠すようなお方ではありません。もし罪人が無罪放免となるなら、その罪人が蔑ろにした神の栄光の限りない価値を証明するために、必ず誰かが死ななければなりません。それが、キリストが成されたことです。だから、「よ あなたの御名のゆえに」と「イエスの名によって」は、同じです。だからこそ私たちは、確信をもって赦しを祈り求めるのです。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, Forgiven for Jesus’s Sake.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:Forgiven for Jesus’s Sake.