9月12日 第256日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 09月 12日 - この記事は約2分で読めます。
「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」 (マタイの福音書6:27-30)
「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」
マタイの福音書6章25-34節には、私たちが信仰のために戦い、心配から解放されるためにイエスが意図された約束が、少なくとも7つ含まれています。昨日は、初めの2つの約束を確認しました。今日は、次の2つを見ていきましょう。
約束 <3>「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。」(マタイ6:27)
これもある種の約束と言えるでしょう。経験から見出すことのできる、現実のシンプルな約束です。単純に、心配することは何の役にも立たない、という約束です。これは主要な議論ではありませんが、時に私たちは自分自身に厳しく言わなければなりません。「魂よ、この悩みはまったく無駄だ。くよくよしても何も得られないし、自分の一日だけでなく、他の人々の一日も台無しにしている。悩みを放棄するんだ。神に委ねよ。そしてやるべきことに戻りなさい。」
心配することで、何か価値のあるものを得ることはできません。これは、約束です。信じましょう。そして、行動に表しましょう。
約束 <4>「野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」(マタイ6:28-30)
野の花と比べたら、あなたは神にとってよっぽど優先順位の高い存在ではありませんか。なぜなら、あなたは永遠に生きるのですから。さらにそれによって、神に愛される子どもとして、神に永遠の賛美を捧げることができるのですから。
それでもなお、神は驚くほどに創造性に満ちたエネルギーと配慮に溢れるお方です。神は、ほんの数日しか生きられない花にさえ、惜しみなくそのエネルギーを注がれます。ですから、神は当然、その同じエネルギーと創造的なみわざをもって、永遠に生きるご自分の子どもたちのために良くしてくださることでしょう。問題は、私たちがこの約束を信じ、心配を捨て去るかどうか、ということです。