魂の最後の祝宴

9月16日 第260日

ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 09月 16日  - 

一つのことを私はに願った。/それを私は求めている。/私のいのちの日の限り の家に住むことを。/の麗しさに目を注ぎ/その宮で思いを巡らすために。

(詩篇27:4)

神は深く悔いる魂の求めを決して無視されることはなさいません。神は私たちに近づき、罪の重荷を降ろし、私たちの心を喜びと感謝で満たしてくださいます。「あなたは私のために/嘆きを踊りに変えてくださいました。/私の粗布を解き/喜びをまとわせてくださいました。/私のたましいが あなたをほめ歌い/押し黙ることがないために。/私の神 よ/私はとこしえまでも あなたに感謝します」(詩篇30:11-12)。

しかし私たちの喜びは、ただ過去を振り返って感謝することだけから生まれるのではありません。希望をもって先を見つめることからも、喜びが生まれるのです。「わがたましいよ/なぜ おまえはうなだれているのか。/私のうちで思い乱れているのか。/神を待ち望め。/私はなおも神をほめたたえる。/御顔の救いを。/私の神よ」(詩篇42:5-6)。

「私はを待ち望みます。/私のたましいは待ち望みます」(詩篇130:5)。

最後は、私たちの心は神の良い賜物を待ち望むのではなく、神ご自身を待ち望みます。神を見て、この方を知り、そのご臨在の中に入ることこそが、魂の最後の祝宴なのです。これを超える探求はありません。言葉で言い表すことはできないでしょう。喜び、歓喜、満足、などの言葉も、この語りきれないほどの体験を表すにはあまりに弱すぎる表現です。

「一つのことを私はに願った。/それを私は求めている。/私のいのちの日の限り の家に住むことを。/の麗しさに目を注ぎ/その宮で思いを巡らすために」(詩篇27:4)。

「満ち足りた喜びが あなたの御前にあり/楽しみが あなたの右にとこしえにあります」(詩篇16:11)。

を自らの喜びとせよ」(詩篇37:4)。

聖書 新改訳2017©新日本聖書刊行会

THIS ARTICLE HAS BEEN TRANSLATED AND USED WITH PERMISSION FROM DESIRING GOD. THE ORIGINAL CAN BE READ HERE, The Soul’s Final Feast.
この記事は「DESIRING GOD」から許可を得て、英語の原文を翻訳したものです。原文はこちらからご覧いただけます:The Soul’s Final Feast.