10月7日 第281日
ジョン・パイパー(著者) 、楠 望(翻訳) - 2024年 10月 07日 - この記事は約3分で読めます。
とこしえから聞いたこともなく、/耳にしたこともなく、/目で見たこともありません。/あなた以外の神が/自分を待ち望む者のために、/このようにするのを。 (イザヤ書64:4)
とこしえから聞いたこともなく、/耳にしたこともなく、/目で見たこともありません。/あなた以外の神が/自分を待ち望む者のために、/このようにするのを。
神が、私のために喜んでご自分の「神としてのご性質」を示してくださるという真理ほど、大きな喜びをもたらすものはあるでしょうか。しかも、神が私のために働いてくださるとき、その力は私が神のために何かをする前にも、後にも、その中にも働いているのです。
神が私たちのために働く、と言うと、傲慢に聞こえたり、神を軽視しているように聞こえるかもしれません。しかしそれは、私が雇い主で、神が仕事を必要としているかのような含意があるからです。神が私たちのために働かれることについて聖書が語るとき、そのような含意はありません。イザヤの心にも、そのような考えはまったくありません。神は「自分を待ち望む者のために、/このようにする[働かれる]」(イザヤ64:4)。
神が私のために働かれると言われるとき、その意味は、私が破産して、救済措置を必要としている状態にあるということです。私は弱い存在で、強い誰かを必要としています。私は危機的状態にあり、私を守る誰かが必要です。私は愚かで、賢い誰かを必要としています。私は道に迷っていて、救い出してくれる誰かが必要です。
神が私のために働かれるとは、私にはそれができないことを意味します。私はまったくの無力で、助けが必要なのです。
そしてこのことは、私ではなく、神に栄光をもたらすことです。与える方が栄光を受けるのです。力ある方が、賛美を受けます。
神があなたのために働かれることについて、聖書がどのように語っているか耳を傾けてみましょう。そして、あなたが自分で背負っている重荷から解放されましょう。神に働いていただくのです。